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September 14, 2008 - September 20, 2008

2008.09.14

野球:星野監督が「反撃」に出たワケ

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北京オリンピックで野球日本代表を導いた星野仙一監督は「日本はいじめ国家になっている」と発言、反撃に出た。9日に日本テレビのニュース番組『NEWS ZERO』に出演した星野監督は「代表チームの不振により、わたしに向けられている怒声や非難はいじめと同じ」と語った。
 日本の野球界で最近はやっているのは「星野監督バッシング」だ。日本野球界のご意見番、広岡達朗氏は「星野がこのままWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)監督の座に就くようなことがあったら、日本は滅びますよ」と毒舌を浴びせた。日本人メジャーリーガーのイチローも「星野監督が監督職を務めるなら来年春のWBCには出たくない」と知人にもらしたという。日本野球界は北京オリンピックで韓国に敗れた全責任を星野監督に転嫁していることになる。
 一方、星野監督はバッシングに真正面から対抗している。テレビに出て「日本はいじめ国家」と発言、自身の公式ホームページには「火だるまになっているオレが何でまた“火中の栗”を拾うようなことをするのか」と書いた。「火中の栗を拾う」とは日本のことわざで、自分がこれほどバッシングされている状況でWBCの監督職を引き受けるのはイヤだという本音を表している。星野監督は北京から戻った直後は、「今は結果について謝罪し、沈黙すべき時期」と語っていた。
 その星野監督が反撃に出た背景には、今、自分をバッシングしているのが読売ジャイアンツに近い勢力だと考えているためだ。広岡氏は1960年代に巨人のショートとして活躍した名選手で、イチローは巨人でプレーをしたことはないものの、巨人に好意的な発言を繰り返してきた。
 日本の野球界は「巨人軍」と呼ばれる読売ジャイアンツに好意的な主流グループと、反巨人の非主流に分かれている。星野監督は東北楽天ゴールデンイーグルスの野村克也監督と共に代表的な反巨人勢力だ。
 星野監督は1968年のドラフト会議で巨人から「意中の選手を1位指名できなかった場合は、外れ1位として指名する」という約束を取り付けていた。しかし、この約束は守られなかった。巨人が外れ1位に指名したのは島野修という投手。星野監督は激怒し、「ホシとシマの間違いじゃないか」と言ったという。
 結局、星野氏は中日に入団、その後「巨人キラー」として活躍した。巨人が6割に近い勝率で1位を独走した1960~70年代、星野氏の対巨人戦成績は35勝31敗と勝ち越していた。王貞治や長嶋茂雄といった強打者たちが驚くべき成績を残していた時代のことだ。1974年には最多セーブ記録を挙げ、巨人の10連続日本シリーズ制覇を阻止した。
 星野監督がWBC監督を引き受けない場合、日本代表の司令塔の有力候補として真っ先に名前が挙げられているのは巨人の原辰徳監督だ。原監督が巨人出身の関係者らの支持でWBC監督の座に近づいていると報じた。国際大会にプロが出場するようになってから、代表監督を務めたのは星野氏・長嶋氏・王氏の計3人だが、星野氏を除く長嶋氏と王氏は巨人出身だ。

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長渕剛「とんぼ」を生披露 10・1清原引退試合

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シンガー・ソングライターの長渕剛が、10月1日に京セラドーム大阪で開催されるオリックス清原和博内野手の引退試合後のセレモニーに駆けつけ、同選手の入場テーマ曲「とんぼ」を生で披露する。公私にわたって背番号「5」を励まし続けてきた長渕は、このほど本紙のインタビューに応じ、「ギター一本ぶら下げて、彼の魂に届くように歌ってあげたい」と胸の内を語った。
 「白球を希望に乗せて空に打ち上げて、空振りしてもホームランを打ってもスタンドが沸く。華のある男が出現したなって思って見てたら、そいつがまさかオレの歌を10代から聴いていたなんてね。一日も早く会いたかったよ」
 1999年、清原は故障に加え、打撃不振に対して巨人ファンからも痛烈な批判を浴びていた。そんな折、清原が自分のファンだと知った長渕が、2000年のライブツアーの大阪公演に清原を招待。それぞれの世界で、10代からまっすぐ夢を追い続けた2人は意気投合し、義兄弟のように男と男の友情を温めあってきた。
 昨年6月、清原が左ひざ手術のため渡米する際、長渕は燃える不動明王の絵を約1週間かけて描き上げた。「ヤツがものすごく悩んで苦しんでたからね。『おまえこそが、不動明王なんだ。おまえ自身が炎であり光なんだ』って伝えたかった。そしたら、『このエネルギーは強烈です。頑張ります』って喜んでくれたなぁ」
 だが、リハビリが思うようにいかなかった背番号「5」は引退を決意。その直後、長渕の自宅に使い込まれた1本の傷だらけのギターを持って訪れた。昨年9月、全国ツアー大阪公演のリハーサル中にあいさつに訪れたときに、長渕からプレゼントされたものだった。「お願いがあります。引退試合のとき、このギターで『とんぼ』を歌ってくれませんか?」。照れくさそうにする大男に、長渕も「いいよ」と即答した。
 「いちずの道を求め、強さを求める男は純粋だ。だから傷つきやすいんだ。しかし、片足を切ってまで夢を球団にささげた男が今までいただろうか。日本人みんなが、彼のいちずな精神をまっすぐ見つめて、これからの野球人生にエールを送り続けることが大切だと思う」
 自分とともに傷つき、戦ってきた最高の“武器”は、長渕にとってはギターであり、清原にとってはバットだった。清原がそのバットを置く日、長渕もまた、深い傷が刻まれたギターで、弟分の第2の野球人生にエールを送る。

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