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January 28, 2007 - February 3, 2007

2007.01.31

宮崎キャンプはそのまんまで!!

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知事が渡辺会長らにお願い
巨人の渡辺恒雄球団会長、滝鼻卓雄オーナーらが東京・大手町の読売新聞東京本社で、宮崎県の東国原(ひがしこくばる)英夫(そのまんま東)知事の表敬訪問を受けた。
 「永久的に宮崎でお願いしたいと申し上げました」。約40分の会談を終えた知事は宮崎キャンプの存続を訴えた。巨人の宮崎キャンプは来年で50周年を迎える。鼻息荒い知事は「県民114万人の総力戦でおもてなしをします」とキッパリ。桃井球団社長は「知事の人気で巨人キャンプのツアーが増えていると聞いた。ありがたい」と歓迎し、渡辺会長も「今後政治の世界も大変だろうが頑張ってほしい」と激励したという。
 巨人は誘致を受けている那覇市でキャンプをすることも検討中。将来的には宮崎を離れることもありうる。会談後に報道陣に対応した桃井社長もこの日は「練習試合も現在8チームいる沖縄はやりやすいが宮崎はやりづらい。でも宮崎は長いつきあいだし十分な施設がある」とどっちつかずのコメントだった。
 「今どうするとか具体的な話は出ていない」と桃井社長はいうが、近年の宮崎キャンプは寂しいスタンドが定番。県としても巨人としても、まずは、“そのまんま効果”でキャンプを盛り上げたいところだ。 
 ▼巨人の宮崎キャンプ 巨人は1959(昭和34)年に春季キャンプ地を明石・高松から宮崎に移した。今年で49年目(61年の米フロリダ・ベロビーチや82年の米グアムなど海外併用の年も含む)。当時は今の総合運動公園ではなく、市内にある県営球場で行っていた。宮崎市観光協会の調べでは長嶋監督が復帰し、松井が入団した93年には観客動員は30万人を超え、社会現象に。経済効果は約70億円ともいわれた。

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2007.01.28

「チームそのまんま」原動力 マニフェスト作り支える

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宮崎県知事選で初当選した東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)(そのまんま東)氏は、公約80項目を盛り込んだ「そのまんまマニフェスト」を掲げ、「元お笑い芸人」というイメージからの脱却に成功した。マニフェストづくりを支えたのは知事自身が「チームそのまんま」と呼ぶ団塊ジュニア15人だった。
 「知事選出馬を考えている。宮崎の現状を掘り下げたいから一緒に勉強してみませんか」。早稲田大学大学院で公共経営を学ぶ渡瀬裕哉さんは昨年11月中旬、大学院の先輩の紹介で、東京・渋谷の喫茶店で本人と初めて会った。
 宮崎県発注の公共事業を巡る談合事件で、安藤忠恕知事(当時)の進退が取りざたされていたころ。その年の3月に東国原氏は早大政経学部を中退していた。「そのまんま東」が政治に興味があるとは正直、意外だったが「有名人とやりとりできるなんて楽しそうだ」。すぐ引き受けた。
 渡瀬さんは、企業や政治家のインターンを通じて知り合った大学生による政策研究・提言のNPO法人「政策過程研究機構」の設立(01年)に参加。20代ながら自治体運営への提言や論文を発表するなど、その世界では知る人ぞ知る存在だ。先輩が渡瀬さんを紹介したのも、そんな実績を見込んでのことだった。
 とはいえ、マニフェスト作りは初めて。「そのまんま東さんに会わない?」。友人のケータイを鳴らしては誘った。「へえ。いいよ」。大学時代に防災を専攻した会社員、シンクタンク職員、経営コンサルタント、旅行会社員。全員が20~30代前半の団塊ジュニアだった。
 1回目の会議は11月25日夜。渋谷区のビルの一室に十数人が集まった。ジャージーにめがね姿で現れた東国原氏は小さなノートを取りだした。「政策」を書き込んだ、そのノートに目をやりながら自分の思いをとつとつと語った。談合事件や交通網の整備の遅れなどを挙げて「このままでは宮崎は陸の孤島になってしまう。自分がセールスマンになって、外とのネットワークをつくりたい」。
 話から「教育」や「観光」「行革」など重点的に訴えたいテーマが見えてきた。「幹の部分は、彼がすでに描いていた。僕たちはその思いにデータを補強したり、具体策を提案したりした」
 マニフェストの土台となる宮崎の現状や課題をつかむため、県がインターネットで公表している報告書や統計を分析した。総合計画や雇用・産業再生指針、国が作成した県経済の現況報告……。「農業県のイメージが強いが、実はサービス業や製造業が成長を支えていた。観光業に力を入れ、かつ競争力のある企業を誘致するために何をすべきかを皆で考えた」と渡瀬さん。
 マニフェストには「サービス業進出への支援」「半導体産業、自動車産業を中心に誘致活動を強化」などが入った。ほかにも、被災時の生活費を支援する「災害時安心基金」3億円や中山間地の医師巡回制度「宮崎型ホームドクター制度」などは、本人が実現を強く希望したという。
 会議は平日夜を中心に開かれ、東国原氏も必ず出席した。毎回5~6時間はざらで、議論した結果は電子メールで共有。それをたたき台に次回に臨んだ。一字一句、食い入るように資料を読んで議論し、質問も細部に及ぶ姿に「彼は本気だ」と思った。
 立候補表明直前の12月初め、マニフェストが完成した。報酬代わりに色紙20枚にサインしてもらい、握手して別れた。
 当選は、友人から携帯メールが続々入って知った。ああ、本当に知事になるのか。感慨深かった。「マニフェストは今や、宮崎全体のものになった。実現に向けて頑張って欲しい」

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