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March 19, 2006 - March 25, 2006

2006.03.25

ジブリ巨大時計

アニメーション作家、映画監督として活躍するスタジオジブリの宮崎駿監督が、巨大な時計のデザインを手がけることが分かった。東京・汐留の日テレタワー2階のマイスタ外壁に制作するもの。縦10メートル、横18メートルの銅製で、7月中旬の完成を目指している。構想4年間の時計は東京の新名所になるのが確実。宮崎監督は「アニメのキャラクターはいつか忘れ去られるもの。後世まで長く愛されるものにしたい」と大時計にそんな願いを込めている。
 大時計といえば東京・銀座4丁目の和光や有楽町マリオンにもあり、待ち合わせの場としても親しまれている。世界に目を向ければ、スイスの首都ベルンの巨大な時計の石造建築物は世界遺産にもなっている。宮崎監督が手がけたデザインのものも近い将来、有名な大時計の仲間入りをしそうだ。
 今回、宮崎監督は日テレ・氏家斉一郎議長から時計デザイン依頼の話を受けた。「ジブリの人気キャラクターが勢ぞろいしたものはどうか」という案も出たという。ただ、2人の間で一致したのは、100年たった後も愛され続ける「後世に残るものにしたい」だった。
 時計づくりで熱く語り合う光景を見ていたジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「機械であって、どこか生き物のようなものを伝えたい」という気持ちが強くなっていった。宮崎監督のスケッチは、一度見たら忘れられないような迫力と重厚さを感じさせるデザインになっていた。
 ちょうど映画「ハウルの動く城」をつくっていた時期とも重なった影響もあり、劇中に登場する“動く城”と似ている印象も与える。「このデザインのポイントは見た目と機能面で面白いこと。そして、お客さまに喜んでもらえること。映画をつくるときのコンセプトと同じです」と鈴木氏。時計そのものは数字の並び方、針ともに洋風。時間の分かりやすい文字盤になっている。
 映画「ハウル―」は時空を越えたストーリーだった。新しい時計には、宮崎監督の時間に対する考えも含まれている。特に映画づくりは「時間で空間をつくること」という考えで、見た人々に流れ、共有した時間が本物であってほしいと願ってきた。汐留に誕生する大時計は単に時を刻む道具ではなく、訪れた人々を「本物の時間」に誘うものにしたい思いが込められている。

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2006.03.24

平沢氏 永田議員を“取り調べ”

0324質疑 元警察官僚が40分間真っ向勝負
 永田氏よ、覚悟しろ―。自民党の平沢勝栄衆院議員が、「偽メール」問題に関する衆院懲罰委員会で、永田寿康衆院議員=民主党の党員資格停止中=と直接対決に臨むことになった。同委員会の質疑の場で、40分間の質問時間を与えられた元警察官僚は、徹底的な“取り調べ”で、謎が多いメール問題の真相解明に取り組む。張本人の永田氏は国会史上30年ぶりとなる同委員会での弁明に臨んだ。
偽メール問題批判の急先鋒が「ガチンコ勝負」を仕掛ける。過去に岡山県警本部長を務めた警察官僚出身の平沢氏は「弱い者いじめと見られるのは嫌だから“ソフト”に質問します。でも、永田氏にはぐらかされ続けたら厳しくいきます」と展開次第では“取り調べ”調の手段も辞さない構えだ。
 2時間を予定する同委の質疑では、自民党の持ち時間が1時間10分。冒頭の40分を平沢氏が、残り30分を同じ元警察官僚の葉梨康弘衆院議員が質問する。
 この日の永田氏の弁明を傍聴し「動機や目的がさっぱり分からず、疑問だらけ。これでは国民は納得しない」と感想を漏らした。永田氏が「週刊誌の元記者」とした仲介者、メールを仲介者に持ち込んだとされる情報提供者のキーマンについても「『永田を男にしたい』という動機は不自然だし、何の目的なのか。議員生命が脅かされているのに永田氏は怒りもせず、仲介者をかばうのも分からない」と首をかしげる。
 事件の根本には「金銭面の関係があるとしか考えられない」と従来の主張を繰り返し、さらに「弁明で永田氏は自分が被害者のように語り、都合が悪いところは仲介者の責任にしていた。これで信用しろというのは無理だ」と指摘した。
 新たな展開も視野に入れる。「本当は永田氏と仲介者をセットで呼ばないと真相は明らかにできない」と仲介者の証人喚問に持ち込めるような答弁を引き出す戦術も検討している。

 各方面から情報収集し、メール問題では“物証”を集め、批判を続けてきた。「目的は分からないが、だれかが意図的に偽メールを作ったことに間違いない。永田氏もけじめをつけるというなら議員辞職とかではなく、事実をすべて明らかにするべき」と語った。臨戦態勢は整っている。

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2006.03.23

長嶋さん心から感動

「日本の野球が世界の野球に変わった」
 2004年アテネ五輪の日本代表監督を務めた巨人・長嶋茂雄終身名誉監督が王ジャパンの栄冠に祝福を送った。球団を通じて「チーム・ジャパンの皆さま、おめでとう。ワールドチャンピオンとなった今、日本中の人々と共に、心から感動し喜んでおります」とメッセージを寄せた。
 アテネからWBCへ。日の丸戦士の魂が受け継がれての世界一だ。「大リーガーのスター選手も参加したこの大会で、各国のナショナルチームは文字通り、死力を尽くして戦い、その中で日本が『チャンピオンカップ』を勝ち取ることができました」
 金メダルを逃したアテネの思い、今大会で韓国に2度敗れた悔しさ。いくつもの苦難を乗り越えてつかんだ優勝を、ミスターは心から喜んだ。
 5日の1次リーグ・韓国戦(東京ドーム)を球場で観戦。その際に左胸に着けていた日の丸をあしらったピンバッジを、関係者を通じて、王監督に渡した。そんなONの友情がここに実を結んだ。「王監督に率いられた日本の野球が、世界の野球に変わったことを意味する価値ある勝利でしょう。選手の皆さまはどうか、野球の楽しさ、すばらしさをこれから多くの人たちに伝えてください」と、日本の野球を世界に伝えた“伝道師”たちを何度もたたえた。

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2006.03.22

原田涙の引退「やり残したこと何もない」

032225日ラストジャンプ 4月から雪印コーチ
 スキー・ジャンプで1998年長野五輪団体金メダルに輝くなど日本をリードしてきた原田雅彦=雪印=が正式に引退を表明した。28年にも及んだ競技生活にピリオドを打つ原田は、涙で声を詰まらせながら「現役生活に悔いはない」と完全燃焼。4月からは雪印のコーチとして後進の指導にあたり、日の丸ジャンプ陣復活を目指す。24、25日に札幌宮の森と大倉山で行われるナイター大会がラストジャンプだ。
その目に涙が光っていた。100人以上の報道陣が詰め掛け、30台のテレビカメラが並んだ会見場。原田は深々と頭を下げた。「ボロボロになるまで飛び続けたい願いがあって、周りの人々のおかげでその気持ちをかなえることができた。やり残したことは何もない。本当に、何もかも達成できたスキー人生だった」声を詰まらせながら、完全燃焼を口にした。
 引退は02年ソルトレークシティー五輪後から意識しはじめ、2月のトリノ五輪後に決断した。「世界の舞台で戦うのは、もう無理。自分には金メダリストのプライドもある。自分で分析して判断した」。トリノから帰国後、長年支えてくれた妻・恵子さんにその決意を打ち明けていた。
 山あり谷あり。最後までドラマチックなジャンプ人生だった。94年リレハンメル五輪の団体戦では“世紀の失敗ジャンプ”で金メダルが銀色に。励ましと同時に痛烈なバッシングを受けた。98年長野五輪の団体では、1回目に失速しながら2回目の特大アーチで悲願の金メダルを獲得し、号泣。日本中を感動の渦に巻き込んだ。そしてトリノでは、まさかの失格。良くも悪くも、原田は主役であり続けた。
 「失敗、成功を繰り返した波乱万丈のスキー人生だった。でも、自分は失敗を武器に立ち直ったつもり。失敗するほど人は成長するものだと思う」最後はトレードマークの原田スマイルで競技人生を振り返った。
 故郷の上川町では、偉業をたたえるプランが進行中。現在、町内のジャンプ台を改修予定で新名称を「原田シャンツェ」と名付ける予定だ。さらに鈴木文雄町長は「モニュメントを造りたい」とし、記念碑などの設立も検討している。
 9歳からジャンプを始め、栄光と挫折を繰り返した28年間のジャンプ人生。記録にも記憶にも残るその歴史は、競技界の枠を超えて日本の財産となる。この先、原田を超える選手は現れるのか。引退と同時に、原田の新たな戦いが始まる。

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2006.03.21

WBC準決勝 瞬間最高視聴率は50.3%

WBC決勝進出の決定時
 野球の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝で、日本が韓国に快勝した19日(日本時間)の試合を中継したTBS系の平均視聴率は、関東地区36・2%、関西地区35・0%、名古屋地区31・6%だったことが20日、ビデオリサーチの調べで分かった。
 関東地区の瞬間最高視聴率は、韓国の最後のバッターを三振に打ち取り、日本が決勝進出を決めた午後3時45分の50・3%。関西地区は同3時46分に47・7%、名古屋地区は同3時17分に40・9%を記録した。
 関東地区の平均視聴率は、今年放送されたすべての番組の中で最高の記録。昨年、プロ野球巨人戦の年間平均視聴率が過去最低の10・2%を記録するなど、野球中継の人気低迷が危惧されていた中で、久しぶりに視聴者の注目を集める結果となった。
 視聴率の各局別割合である番組平均占拠率で58・4%(関東地区)と他局を圧倒したTBSは「日本代表が目指してきた野球がパーフェクトにできていた。それが視聴者の関心を呼び、日本代表の勝利をともに分かち合うことができた。この高視聴率で野球好きな日本人の国民性をあらためて痛感した」としている。
 韓国では日韓戦は地上局3局で放送され、視聴率調査会社のTNSメディアコリアによると、各局合計の視聴率は47・2%で、普段の同じ時間帯の視聴率の約2倍を示したという。
 日本とキューバとの決勝戦は日本テレビ系で21日午前10時45分から、試合終了まで生中継される。

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2006.03.20

三遊亭円楽「笑点」復帰 「5月まで」

0320「明るい職場に冷たい家庭。ホッとしますよ」会見で笑顔も
 昨年10月に脳こうそくで倒れた落語家・三遊亭円楽が東京・水道橋の後楽園ホールで行われた日テレ系「笑点」の収録に参加した。26日の放送から司会復帰する。「とっさの反応にまだ問題がある」ということで「大喜利」の司会はせずに、番組冒頭でのコーナー紹介のみの“司会”。円楽は後進に道を譲るため、番組出演は5月の「40周年記念特番」までとしているが、局は体調を見て継続を望んでいる。
お茶の間を元気にさせる笑顔が帰ってきた。「笑点」に三遊亭円楽が復帰を果たした。この日、後楽園ホールで同番組の公開収録が行われた。客席で観客に交ざって、ほほ笑む円楽の姿があった。5か月ぶりのおなじみの光景。「こんにちは。笑点のお時間です。司会の円楽です。ずいぶんとごぶさたしました」3週分収録しNGは1回だけ。滑らかな話しぶりに、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
 収録前の会見では「笑点」と書かれた釈台の前に座り、「なんともそう快ですね。明るい職場に冷たい家庭。ホッとしますよ。何とも言えないうれしさがありました」と満面の笑みで話した。
 脳こうそくで倒れたのが昨年10月。幸い症状が軽く11月に退院。1月1日のお正月特番「大笑点」で生出演し、同月3日にはお江戸日本橋亭に登場、落語は演じなかったが“高座復帰”も果たした。さらに今回のレギュラー復帰。それでも人気コーナー「大喜利」の司会は代役の桂歌丸に任せた。「残念ながら固有名詞が出てこない。とっさの反応が問題。難しい感じです」と番組冒頭のあいさつのみの“司会”に専念する。
 鈴木雅人プロデューサーは「5月に40周年の節目があります。そこまで頑張ってもらいます」と説明。円楽は「成績(視聴率)がグンといいので、私の出番がなくても当たり前です。これほどの長寿番組。噺家がメーンなのはこの番組しかない。今後も引き継いでやって頂きたい」と勇退を示唆。「記憶が戻ってきたらまた(復帰を)お願いするかもしれません」と卒業の意思を口にした。
 円楽は常々「40周年にはみんなそろって『口上』を言いたい」と話しており、多発性硬化症でリハビリ中の林家こん平とともに舞台に立つことを集大成としたい気持ちと思われる。日テレ側は「今でも『大喜利』の司会ができると思う。体調を見てお願いしたい」と慰留に必死。「笑点の顔」円楽がどのような判断を下すかが注目を集めそうだ。

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2006.03.19

魁皇、負け越すまでやめない

0319まだ魁皇はあきらめない。カド番の西大関・魁皇=友綱=はグルジア出身の西筆頭・黒海=追手風=にはたき込まれ、3連敗で2勝4敗。だが、師匠の友綱親方(元関脇・魁輝)と話し合った結果、引退の2文字を封印。負け越しが決まるまでは土俵へ上がる決意を固めた。カド番の東大関・千代大海(九重)は初黒星。無傷の6連勝は大関取りの東関脇・白鵬(宮城野)と東横綱・朝青龍(高砂)のモンゴル出身2人だけとなった。
桜のごとく潔く散るか。それとも完全燃焼するか。魁皇が選んだ美学は後者だった。絶望的な4敗目を喫した後、大阪・平野区の宿舎で友綱親方から進退を問われた。だが、魁皇に迷いはなかった。「8敗するまでは頑張ります。このままじゃ終われない。自分の集大成を見せたいんです。自分の持つものを全部出したいんです」土俵を去るつもりはなかった。
 この日、魁皇は前のめりに敗れた。立ち合いで黒海の左を差す。右からいなし気味に引かれて、食らいつこうとした。ただし、上半身だけで覆いかぶさるように。足の送りのない攻めは、はたき込みの格好の餌食となり、右ひざから崩れ落ちた。「前に出ようと思ってね。でも引かれた時に足がついていかなかった」
 言うことを聞いてくれないのは下半身だけだ。気持ちは決して切れてはいない。4敗を引退のメドと考えていた友綱親方も、まな弟子の情熱に心を動かされた。「中途半端な気持ちではやれない。本人がそこまで腹をくくったのならば頑張れ、ということだ」と話した。
 この日、出番前には、現役時代から親友の藤島親方(元大関・武双山)からも激励の言葉をかけられた。魁皇に向けられる場内の声援は綱取りの栃東に負けないほど大きい。敗れた後も場内には「魁皇、明日も頑張って!」と声が飛び交った。「そういう声も聞こえてくるんでね」友綱部屋のホームページに寄せられるメッセージも現役続行を望む声がほとんどだ。
 右の上手を引いたらいかなる相手も豪快にぶん投げる“魁皇スペシャル”。再び見られずに土俵を去るのは、あまりにも寂しい。「このまま終わるのもどうかと思う。前に出てまわしを取ってダメなら、その時は潔く…」同期の若貴、曙としのぎを削り合った怪力大関。燃え尽きる生き方を選んだ以上、悲壮感は見せない。

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