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December 11, 2005 - December 17, 2005

2005.12.17

仰木オリックス前監督が急死

1217 仰木監督らしい、勇ましい引き際だった。関係者によると、1週間前には電話で「体調が少しすぐれない」と話していたものの、しっかりと応対していたという。わずか7日間で容体が急変したのか。この日の午後4時10分、わずかな親族だけにみとられ、静かに息を引き取った。
 夏場までは、しっかりと歩みを刻んでいた。昨年10月、オリックスと近鉄との統合球団の監督に就任。肺などに2度の手術を受けていたが、「グラウンドで倒れるなら本望や」と快諾。人生をささげてきた球界、パ・リーグのためにと引き受けた。
 当初は体調面が心配されたが、2月の沖縄・宮古島キャンプでは、宿舎とグラウンドの片道約10キロも、以前と同じように約2時間をかけて歩くこともあった。腰の歩数計がトレードマークでもあり、「どうや、1万歩を超えてるぞ」と、誇らしげに回復ぶりをアピールしていた。
 遠征先では、担当記者と20回以上も食事を共にした。2003年に最初に大病を患って以来は焼き肉が好みとなり、20代、30代の記者に負けず、最後までほおばった。6月には「ガルシアがまた見たい」と話した記者の意見を取り入れ、不振のため2軍落ちしていた助っ人を急きょ、遠征先のナゴヤドームに呼び寄せて起用。再生に成功するなど、随所に仰木マジックは健在だった。
 オリックスは3年連続の最下位に沈んでいたが、見事に再建に成功した。加藤、菊地原、大久保と勝利の方程式を築き上げ、プレーオフまであと一歩のところまで押し上げた。球団も強く続投を望んでいたが、9月以降は疲労を隠せない状況だった。
 「9月に入ってからは体調が悪くなり、現場の先頭に立って、チームを鼓舞することができなくなった。それだけが心残り」と、9月29日の退任会見で説明した。肺がんは完治しておらず、副作用の強い薬を投与しながら、さい配を振るっていた。
 シーズン終盤には両ひざの自由もきかなくなり、5月には組めたあぐらも困難になっていた。今季最終戦となった9月28日の西武戦後には、インボイス西武ドームのセンター後方にハイヤーをつけてもらい、球場を後にした。階段を上ることも不可能だった。
 10月からは福岡市内の病院で療養に努めていた。同7日の中村新監督の発表会見の席では「みなさん(担当記者)と、また宮古島で会えそうだ」と楽しみにしていたが、それが公の前での最後の“雄姿”となった。
 前年最下位の近鉄を率い、初めて監督に就任した88年には最終戦まで優勝を争う「伝説の10・19」を演出。オリックス監督を務めた94年からの8年間ではイチロー(マリナーズ)を育て、阪神大震災が起きた95年からリーグ2連覇。初の日本一にも導き、被災に沈む神戸市民を勇気づけた。「パ・リーグの広報部長」を自認し、監督として築き上げた988勝。野球界のために壮絶な人生をささげた名将が、静かにこの世に別れを告げた。

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2005.12.16

バカ殿、世界でアイーン

1216ユニバーサル英本社役員がDVD大絶賛!欧米、アジアで発売へ
 お笑いタレント志村けんの人気コントシリーズ「志村けんのバカ殿様」が、来年にも海外進出することが分かった。来年1月27日に発売される初DVD「志村けんのバカ殿様DVD―BOX」を、発売元のユニバーサル・ピクチャーズの英国本社の役員が大絶賛。同DVDを欧米やアジア諸国でも発売する計画を進めている。志村自身も「世界中の人を笑わせるのは芸人としての夢」と意気込んでいる。
「ラスト サムライ」や「SAYURI」など日本を舞台にした作品が海外でも大きな注目を集める中、「バカ殿」が世界進出することになった。
 来年1月27日にユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンから初DVDが発売されるが、同社のマーク・フォティ社長代行がバカ殿を絶賛。英ロンドンの本社に「ぜひ日本以外の地域に売り込んでいきたい」と提案したところ、本社の役員にも大受け。「言葉の壁を超えて理解できる笑い。20年も続いているというのはすばらしい」として、欧米やアジア各国での発売の計画を進めることになった。
 来年日本で発売されるDVDは「冬の巻」「秋の巻」「春の巻」の3枚組みセット(各巻約90分、1万290円)。傑作コントや、ビートたけし、北島三郎ら大物との共演シーンなど名場面が収録されているが、海外版では、お蔵入りした初期の女性の裸体の映像や、諸事情でカットされたシーンなど、日本では放送できない貴重な映像の収録も計画されている。関係者は「日本での売れ行きが良ければ、早ければ来年内にも海外発売が見込める」としている。
 昨年6月に発表された「子供に見せたくない番組」のアンケート(日本PTA全国協議会調べ)でも堂々の?4位にランクインするなど、スタートから20年たった現在も「お下品番組」の帝王として君臨する「バカ殿」。志村自身も海外進出については「海外から評価を受けることは非常に光栄。世界中の人を笑わせるということは芸人の夢、ぜひチャレンジしたい。これが本当のサムライなのかと思われたら面白いね」と意欲満々。日本を飛び出した「BAKATONO」が、世界中を笑わせる。

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2005.12.15

オリックス清原、年内にも誕生

1215「オリックス・清原」の年内誕生へ、大きく前進だ。巨人を自由契約になった清原和博内野手と、獲得を目指すオリックスが極秘交渉を行っていたことが明らかになった。オリックスの交渉の窓口となっている横田昭作球団本部長補佐が明かしたもので、すでに条件提示も行い、オリックス側は好感触を得ている。10月13日に初交渉を行って以来の接触で、事態は大きく前進した。
事態が急展開を見せたのは、12日の午前中だった。交渉を呼びかけていた横田球団本部長補佐に清原から連絡が入り、急きょ小泉隆司球団社長とともに東京へ向かった。同日夜、都内のレストランで2度目の交渉は行われた。
 初めに、10月13日に中村勝広監督と初交渉を行ってから2度目の交渉まで、丸2か月を要したことに対し、清原から「長い間、気持ちの整理をつけるのがあって、これだけ長引いてすみません」とわびの言葉があったという。
 話し合いは終始、和やかなムードで行われ、球団の説明やスカイマークスタジアムで行われた「プロ野球42年会」などの話で盛り上がった。約2時間の会談の最後には、年俸2億8000万円プラス出来高1億円の条件提示を行った。満額となれば今季と同等の条件だったが、清原は「考えて返事させていただきます」とさすがに即答は避けた。
 同補佐は「非常にいい話し合いができた。彼が前向きに考えて、我々が会えたのは前進と思う」と収穫を強調した。報告を受けた中村監督は「いい感触だとは聞いている。どういう形になるかと思っていたけど、ひとつのステップだな。腹をくくって、縁があるのを待つのみだな」と状況が大きく前進したことを喜んだ。
 球団は「できれば年内に返事が欲しい」と清原側に伝え、次回が最終交渉となる見込み。名球会行事が行われるハワイから帰国後にも「オリックス・清原」誕生となる運びだ。待ちわびたクリスマスプレゼントが、いよいよ届くことになった。

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2005.12.14

谷、亮子夫人出産予定日2・1産休離脱

オリックス・谷佳知外野手は、スカイマークスタジアム内の球団事務所で契約更改交渉を行い、10月の残留交渉で合意していたとおり、1000万円減の年俸2億8000万円プラス出来高でサイン。女子柔道金メダリストの亮子夫人の出産予定日が2月1日であることを明らかにし、宮古島キャンプと重なっても出産に立ち会う可能性を口にした。
 表情は緩みっぱなしだった。ベビーの話題になると「順調です。すごく楽しみにしているし、早く生まれてきてほしい。これから子供ができることによって、変わった自分が出てくるかなと思う」と自らへの期待も込めた。予定日は、野球人の正月と言われるキャンプインの日。「そうなれば、いい日ですね。キャンプやトレーニングが遅れるかもしれないけど、そのあと取り戻して、開幕を迎えたい」と強い決意を見せた。
 今季は、開幕直前に痛めた左脇腹の影響もあり、111試合の出場で打率2割4分8厘、6本塁打、36打点に終わった。不本意な成績もあり、8月に取得したFA権を行使せず、単年契約を選択。年始に語ったメジャー挑戦願望についても「大きな目標の一つとして、目指したいと思う」と変わらぬ夢を口にした。
 球団も、全力を挙げてバックアップする。中村監督は「どんなスケジュールでキャンプに臨むか、コーチ陣と1回話をせなあかんな。柔軟に考えてます」と、産休離脱を容認する構え。来季は「1番・左翼」で起用する方針が決まっているだけに「200安打? そうですね。できる限り塁に出て、得点したい」と早くも色気を見せた背番号10。待望の第1子が、来季への活力源となる。

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2005.12.13

「つよクン」「かすみ」ラブラブ結婚会見

1213ソフトバンク・和田毅投手は福岡市内のホテルで、人気タレント・仲根かすみと同席し、結婚報告の会見を開いた。昨年9月に交際がスタート。福岡市内の区役所に、婚姻届を提出したことを発表した。同投手は「一緒にいて、すごく心安らぐ時間ができた」と照れたが、最後には「来季は勝負の年になると思う」と宣言。最良のパートナーを得て、来年3月の「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」制覇とシーズン日本一の「2冠」を狙うことを誓った。
マウンドではポーカーフェースを貫く左腕が、すっかり舞い上がっていた。上下、黒のスーツ姿で、会見に臨んだ和田は「初めて(の結婚会見)なので、多少、舌足らずになりますけど、よろしくお願いします」と、震える声であいさつ。それでも、終始、笑顔を浮かべながら、新妻と寄り添うようにうなずき合った。
 出会ったのは昨年7月、共通の知人を交えての食事会だった。「その時は友達という感覚」(和田)だったが、電話やメールのやりとりを続け、同9月末から交際に発展。プロ野球選手とタレントという売れっ子同士だったが、和田が東京遠征の際、2人で食事に出かけるなど、1年3か月間、福岡と東京の遠距離愛を静かにはぐくんでいった。
 「付き合った当初から、結婚は考えていた」と振り返ったが、結婚をはっきりと意識したのは、昨年12月の旅行だという。2人で北海道・函館を観光。「この人となら、ずっと一緒にいても楽しいかな」と感じた和田が、5月下旬にプロポーズした。多忙のため、オーダーメードの婚約指輪も10日に渡したばかり。それでも、仲根は「その後、皆で外食に行きましたが、鍋で…。汁が、指輪に飛んだら、どうしようと…。大切すぎてつけられない」と、感激で目を潤ませた。
 会見では、お互いを「かすみ」「つよクン」と呼び合うラブラブぶり。今後については、仲根が芸能活動を休止し、和田の住む福岡市内の自宅で新婚生活を始める。子づくりについては「考えていないが、授かれば何人でもいい」(和田)、「授かることができれば、幸せ」と、自然の成り行きを強調した。
 入団から3年連続2ケタ勝利を挙げながら、チームは2年連続でプレーオフ敗退。来年3月開催のWBC日本代表にも選ばれるなど、来季にかける意気込みは大きい。「プロ4年目で忙しいシーズンになる。また、日本一を取って、最高の年になるよう頑張りたい」と、決意表明した左腕エースが、二人三脚の新たな人生のスタートを切る。

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2005.12.12

藍学んだ 青木の極意

1212プロゴルフ 男子、シニア、女子対抗戦、日立3ツアーズ選手権 最終日
 藍が青木の“4次元ゴルフ”にはまった。宮里藍は、最終の第4ステージで38と苦戦し、35で回ったシニアの青木功に完敗。時間の流れまでをコントロールするような、世界のAOKIの雰囲気に酔った。来季から米女子ツアーに本格参戦する20歳にとって、日本人として初めて米ツアーで優勝した青木は最高の“教科書”となった。3ツアーの対抗戦は、男子が優勝、シニアが2位、女子は最下位に沈んだ。
フワリと上がったロブショットはグリーンに落ちるとゆっくり転がり、ピンに絡むように止まった。最終ステージの11番パー5。グリーン奥のラフから、青木はサンドウエッジで絶妙のアプローチ。楽々とバーディーを奪った。対する藍はグリーン右まで2打で運びながら、カラーから3パットでパー。「今まで回った選手と雰囲気が全く違った。青木さんの周りだけ時間が3分の1くらいのスピードでゆったりと流れている。それに比べて、こっちはセカセカしている感じなんです」と不思議そうな藍。自分の間合い、リズムで時間の流れをコントロールするような青木の“4次元ゴルフ”に魅了された。
 米女子ツアー最終予選会で重圧の中90ホールを戦い、8日に帰国したばかりの藍は結局、2日間で5オーバー。女子4選手の中でスコアは最も悪く、チームも最下位。しかし、得たものは多かった。プロ通算83勝の青木は1983年のハワイアンオープンで最終日18番、残り128ヤードの第3打を直接放り込む奇跡のイーグル。日本人として初めて米ツアーを制した。「この経験を米女子ツアーにつなげたい」と藍。「藍ちゃんのプロ根性を感じた。オレを踏み台にしてくれ。死んだら骨になってのびるだけよ」青木の言葉を、神妙に聞いていた。

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2005.12.11

辻内1軍スタートだ

1211巨人の新入団選手発表会見が東京・内幸町の帝国ホテルで行われた。原監督の「限界を超えたところに我々の世界がある」という厳しい言葉に触発された、高校生ドラフト1巡目の辻内崇伸投手が「気持ちとしては、キャンプの1軍マウンドに立ちたい」と来春キャンプ1軍入りを新たな目標に掲げた。
目は、光で満たされた。辻内があこがれていたユニホームに袖を通し、並んだ壇上。原監督が「限界を超えたところに我々の世界がある」と新人選手に金言を授けたとき、156キロ左腕の意欲は“限界点”を振り切った。「気持ちとしてはキャンプで1軍のマウンドに立ちたい。やってみたい」堂々と、キャンプ1軍帯同を目標に設定した。
 仮契約直後には、開幕1軍を最大の目標として挙げていたが、その一方で「高校生からプロの世界に飛び込むということで、体をしっかりつくりたい」と焦らずに成長していきたい思いも明かしていた。だが伝統のユニホームに身を包んだことで「早く高いレベルに挑戦したい」というアスリートとしての純粋な欲求が、心を支配した。
 越えようとするハードルは高い。今季、投手陣はチーム防御率4・80でリーグ最下位に沈んだが、補強は確実に進んでいる。FAで野口、豊田を、外国人投手ではグローバーを獲得。さらにオリックスを自由契約となったJPの獲得にも乗り出している。秋季キャンプでは野間口、内海、西村ら若手の成長もあり、投手陣再建は進んでいる。あえてその高い壁に挑戦する。
 そのために厳しく自らを律する。まずは“課題”となっている減量からだ。現在91キロ。「妥協せず、努力してランニングを欠かさずやっていきたい」と無休でトレーニングを継続することで、体調を整えていく。
 最近の高卒ルーキーで、キャンプ1軍スタートを果たしたのは、1993年の松井秀と2003年の長田の2人だけとハードルは高い。「心して挑んでいきたい」と意気込んだ。この日もサインを頼まれ、囲まれるなどファンの期待はすでに大きい。「このユニホームを着た以上、期待通りの投球をしなければいけない」強い決意で、巨人・辻内が足を第一歩を踏み出した。

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