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September 18, 2005 - September 24, 2005

2005.09.24

ゴルフ 諸見里が首位、宮里3位

0924来季の米女子プロゴルフツアー出場権を懸けた1次予選会は22日、米カリフォルニア州ランチョミラージュのミッションヒルズCC(パー72)で第3ラウンドを行い、諸見里しのぶが通算9アンダーの207で首位に浮上、宮里藍は1打差の3位で、ともに11月下旬からの最終予選会の出場権獲得に大きく前進した。
 前日2位の諸見里は4バーディー、2ボギーの70で回った。宮里は10番でイーグルを奪ったほか5バーディー、1ボギーと連日の66で前日の11位から順位を上げた。
 全4ラウンドを終えて30位タイまでが最終予選会に進む。
 諸見里しのぶ「バーディーが先行したのに(16、17番で)ボギーを打ってしまって悔しいラウンドになった。ショートパットで緊張して自分に負けた感じ。(最終日は)アンダーパーを出したい」
 宮里藍「バーディー先行でいい流れに乗れた。10番のイーグルは大きかった。きょうは最低4アンダーで回りたいと思っていた。あしたも気負わずにいい精神状態でプレーしたい」

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2005.09.23

杉村太蔵氏、居残り補習60分

0923“小泉チルドレン”1年生議員初登院
衆院選を受けた特別国会が召集され、小泉純一郎首相が第89代首相に選出された。83人の“小泉チルドレン”も緊張気味に初登院。自民党はこの日も新人研修会を行ったが、初々しい!?言動が目立つ杉村太蔵氏だけは幹事長室で“居残り補習”を受けた。
止まらぬしゃべりすぎにおきゅう!?
「責任の重さ痛感」
太蔵氏が出てこない。本会議後の新人議員を対象とした第2回研修会。終了後、続々と新人議員が部屋を後にする中、“時の議員”の姿はなかった。「どうやら研修会場に隣接する幹事長室に呼ばれた」との情報が駆けめぐった。
 登院初日から、いきなりの“居残り補習”。研修会終了から約1時間後、隠れるようにして姿を現した太蔵氏は、赤じゅうたんを突然、ダッシュ。「打ち合わせがありまして、延び延びになってしまいました。武部さんとは話してません」と焦りながら切り返した。その後、「今後の予定を教えてもらった。みかんを食べながら」と話したものの、議員会館の自室までダッシュは止まらなかった。
 “居残り補習”の背景には、一度は封印されたはずの“太蔵節”の復活があるようだ。「太蔵らしくいきます」初登院に興奮気味の太蔵氏はこの日の昼までは冗舌が復活。「昨日両親が来て激励してくれた。『お前を品よく育てたつもりはない。お前らしくやれ』って。さすが、お父さん、お母さんだな。一番うれしかった」とほえるように話すと、その後は太蔵氏の独壇場。
 「本当のイチヒラリーマンが、イチ国会議員になったらどう感じるのか。庶民とはどう違うのかメッセージを送りたい」と宣言。「正直な気持ち…」と顔を赤らめると「ついに来る時が来たな、という感じです」と話すと、思わず報道陣からは失笑が漏れた。
 さらには、「いろんな人と話したい。セブン―イレブンのバイトが終わって、友達3人とご飯食べてて『太蔵呼ぼうや』となったら日本中どこでも駆け付けます」と言い切り「もう、当たって砕け…。いや砕けちゃいけませんよね」と話したところで、関係者に引きずられるように場から消えた。
 本会議で小泉首相から「頑張れよ」と激励された太蔵氏に与えられた席は、議長を背にすると「最前列の右端」。小泉首相の目の前で、閣僚たちがにらみをきかせられるポジションだ。“居残り補習”後は、それまでの“太蔵節”がすっかりなりをひそめた太蔵氏。きついおきゅうをすえられたのか、最後は「改めて国会議員の責任の重さを痛感した」と青白い顔で語っていた。
次の選挙では120%議席はないのだから、やりたいようにやった方が素晴らしい経験が出来ると思うよ。小泉さんや武部さんに遠慮せず、逆食ってやればいいのに。

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2005.09.22

桑田、残留濃厚

0922今季未勝利で今オフの去就が注目されている巨人・桑田真澄投手が、プロ21年目の来季も巨人でプレーすることが濃厚となった。桑田は自らの希望で出場選手登録を外れたが、すでに球団と現役続行に向けた交渉を開始。球団は20年にわたって巨人を支えてきた功労者の意向を尊重し、現役での契約を継続する方針となった。年俸など詳細な交渉はシーズン終了後に行われるが、2006年もまた、桑田はエースナンバー18を背負ってプレーする。
不透明だった行く末に、確かな道筋が見えてきた。ついに1勝もできないまま20年目のシーズンを終えた桑田が、来季もまた、伝統のユニホームを着ることが濃厚となった。「契約は終わってからですよ。残留? 育ててもらったから感謝もしてますし、いい思いもさせてもらった。それが最高だよね」1軍での練習を終えた桑田は、晴れやかな表情で東京ドームを後にした。
 契約の細部こそ煮詰まっていないが、すでに現役続行に向けた話し合いは始まっている。8月下旬の大阪遠征中、清武代表と会談。ヤクルト戦(東京ドーム)で7回2失点の好投を見せた19日、そして出場選手登録を外れたこの日も、簡単な話し合いを持った。力の衰えを指摘する声もあるが、球団側は20年間の功労を最大限尊重。桃井社長は「契約の話までには至っていない」としながらも、「功労者で実績もあるし、練習態度も真摯(しんし)。そういうことも含めて考える」と、契約延長に前向きな姿勢を隠さなかった。
 もちろんクリアしなければいけない問題もある。未勝利に終わったことで、年俸のダウンは免れない。加えて桑田は残り28勝に迫った通算200勝にも強いこだわりを持っており、試合で投げられる環境を何より望んでいる。「遊びでやってるわけじゃない。契約してくれる球団が(ほかに)あるなら」堀内監督は退任が確実で、新体制でどのような起用法になるか不安も残る。新監督が発表された後の交渉で、残留に向けた詳細を煮詰めていく。
 19日のヤクルト戦では、今季12試合目の登板で一番の投球を見せながらついに勝てなかった。そして「今シーズンの最後だと思って投げていた」と、若手に登板機会を譲るため、自ら登録抹消を申し出た。「予定通りですよ。(残り)試合数も少ないしね」21日からはジャイアンツ球場で2軍ナインに交じって練習するが、今季最終カードとなる10月4、5日の広島戦(東京ドーム)では、再び1軍の練習に合流する予定だ。
 桑田が未勝利でシーズンを終えるのは、右ひじの手術で登板機会のなかった1996年を除き、プロ入り初めてになる。しかし桑田は「そういう時もあっていいんじゃない? 人間、完ぺきじゃないから」と、笑顔まじりに言った。「昨日もいいピッチングができたし、来年につなげたいと思います」9月の3試合はすべて先発の役割をまっとうし、手応えもつかんだ。かつての栄光を取り戻すため、チームより一足先に、来季に向けた準備を始める。

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2005.09.21

桑田、また勝てず… 次ラス投

0921桑田、また今季初勝利ならず。初回に2点こそ失ったが、2回以降はていねいな投球でヤクルト打線をわずか2安打に抑えて、7回を2失点。しかし、またまた打線の援護に恵まれず、今季12度目の挑戦も勝ち星はつかず。降板後の8回、高橋由の14号逆転2ランが飛び出し、そのまま逃げ切った。連敗は5で止まったが、どこかむなしい1勝です。
悟ったような笑顔だった。帰り際の桑田は、白いシャツをパリッと着こなし「これが野球ですよ。ヤクルト先発の松岡君って言うの? いいピッチャーだったねえ」12度目の先発も今季初白星を得られなかった。その悔しさをそっと胸の奥にしまった。
 チームに不名誉な記録をもたらしてしまった。初回1死二、三塁のピンチからラミレスの内野ゴロとリグスの右前適時打で2失点。これでチーム今季682失点となり、03年の681失点を抜き、シーズン最多失点の球団記録を更新した。
 その後は得意のカーブでリグスやラミレスから空振り三振を奪うなど持ち直したが2―2の7回で降板した。全98球。継投か続投か、難しい選択を迫られる展開だった。堀内監督は「あそこでいっぱい。あれ以上行って打たれるより、いい形で次につなげたかった」と説明。桑田自身も「監督が決めること」と淡々としていた。
 桑田が勝つには格好の試合だったかもしれない。松岡はプロ未勝利のルーキー。阿部の2ランで2回に追いつき、7回までにあと1点取れば、桑田に白星がついていた。桑田は「残り少ないから(次回先発は)ないんじゃない」と意気消沈していたが、指揮官は「なんとかもう一回、投げさせたい」とラストチャンスを与える方針だ。
 桑田が下りて、試合はもつれた。シコースキーが8回に勝ち越され、その裏、高橋由の14号2ランで逆転。9回、抑えの林が2死三塁のピンチを背負うと指揮官自らマウンドへ向かいハッパをかけ逃げ切り、連敗を5で止めた。
 桑田の勝利は今季、見られるのだろうか。チャンスは泣いても笑ってもあと1回だ。

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2005.09.20

ダイエー創業者の中内氏が死去

0919スーパー「ダイエー」を創業し、かつては日本の流通革命の旗手と言われた中内功氏が脳梗塞のため神戸市内の病院で死去した。83歳。大阪市出身。
 1941年、神戸高等商業学校(現兵庫県立大)卒。太平洋戦争の激戦地フィリピン・ルソン島から奇跡的に生還し、空襲で焼け野原になった神戸の闇市で始めた医薬品販売が事業の原点となった。
 57年に現在のダイエーの前身である大栄薬品工業を設立。「良い品をどんどん安く」をモットーにした安売り店「主婦の店ダイエー」1号店を大阪市に開業した。
 高度経済成長の波に乗り、大型スーパーのダイエーを全国最大のスーパーチェーンに育て、72年に売上高で三越を抜いて小売業首位に躍進させた。家電最大手の松下電器産業と対立し、独自の低価格テレビ発売などでも話題を集めた。
 事業の多角化にも意欲的で、コンビニや百貨店、ホテルなどにも進出。88年にプロ野球南海ホークス(当時)、92年にリクルートを相次いで傘下に収めた。しかしバブル経済の崩壊と阪神大震災、大店立地法の緩和による競争激化に直面。経営が一挙に悪化した。
 このため99年にダイエー社長、2000年には会長を退任。04年12月、ダイエーが産業再生機構の支援を受けることになり、自身が保有していたダイエー株を処分、名誉職のファウンダー(創業者)も辞め、ダイエーとの関係が完全に切れた。

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2005.09.19

巨人ついに負け越し

堀内巨人がまた、不名誉な記録を作ってしまった。横浜に大敗を喫し、これで57勝72敗4分け。13試合を残して、今季の負け越しが確定した。巨人のシーズン負け越しは、1997年以来8年ぶり6度目。1950年の2リーグ分立後は、長嶋茂雄終身名誉監督しか経験していない屈辱。堀内恒夫監督は今季限りで退任が決定的だが、来季の新監督はどん底からの再出発を課せられる。
屈辱のプラカードが、横浜ファンで埋まる右翼席で揺れていた。「読売銀行営業中」―それはまぎれもない現実だった。13試合を残して57勝72敗4引き分け。8年ぶりにシーズン負け越しが決まった。「負け越し? それはよく分かっていますよ。4連勝の後に4連敗。そういう流れの中で、こういう結果になった」指揮官はカメラのフラッシュを無数に浴びながらも、淡々と敗戦を振り返った。
 先発が序盤から崩れ、打線が反撃できない。同じ展開がここ4試合続いた。高橋尚、西村、工藤、そしてこの日はマレンが沈んだ。初回、先頭の石井琢に四球を与え、3連打を浴びて2失点。さらに2回、来日初となる満塁アーチを金城に浴びた。「変化球のキレがなく、ボールが全部高めに行った。自分でもひどい投球だったと思う」マレンは唇をかんだ。
 マレンは当初、19日からのヤクルト3連戦に先発が予定されていたが、横浜戦2勝を挙げている相性の良さを重視。ローテーションを変更してまで、連敗脱出を前横浜の外国人左腕に託した。
 「話にならないね。ゲームをつくれない。これでは野手の戦意を喪失させる」香田投手コーチも厳しかった。今後、マレンが先発登板するのは難しく、疲労が蓄積している中継ぎ陣の“補強”にまわり、来季以降へ向けた真価が試される。
 今季のチームは連勝が最多で4。大型連勝という波に乗れず、いつも息切れした。固定できない先発ローテーションが原因のひとつ。指揮官は内海、野間口、マレンらニューフェースにの台頭を期待したが、望んだ活躍はしてくれなかった。
 借金15。残り13試合をほぼ勝率5割で消化しても、借金数は長嶋政権1年目の1975年の借金29に次ぐ史上ワースト2位にとどまりそうだ。すでに今季限りでの退任が確実となっている指揮官。去就について聞かれると「そんなの後公式戦終了後に決まってるじゃないか」と言い、146試合を全力で戦い抜くことを誓うだけだった。

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2005.09.18

民主新代表に前原氏

民主党は新たな代表を選ぶ両院議員総会を都内のホテルで開き、所属国会議員の投票の結果、前原誠司「次の内閣」防衛庁長官が菅直人前代表を破り代表に決まった。前原氏96票、菅氏94票の2票差だった。代表選はベテランと若手・中堅議員の世代間対決となったが、前原氏の清新さが買われた。任期は辞任した岡田克也氏の残任期間の来年9月まで。
 前原氏はただちに幹事長など党役員人事に着手。代表選で生じた党内の亀裂を修復し挙党態勢を構築、衆院選惨敗を受けた党再生への取り組みが課題となる。
 投票に先立ち立会演説会が行われ、前原氏は「党を戦う集団に変えたい。党の原点はしがらみや既得権益にとらわれないことだ」と党改革の必要性を主張。「与党の暴走を止める役割を担いたい」と強調した。菅氏は「2大政党が日本に根付くかどうかの危機だ」と訴えた。
 中堅・若手議員に推された前原氏は旧社会党系議員らの支持を受けた菅氏を振り切った。
 前原氏は京大卒、松下政経塾、京都府議を経て1993年衆院に初当選し、当選5回。民主党幹事長代理などを務めた。

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