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August 7, 2005 - August 13, 2005

2005.08.13

八代英太元郵政相 引退迫られた

0813郵政民営化関連法案の造反組に対し、次々と刺客を放っている自民党執行部が、小泉政権で長く広報本部長を務めた八代英太元郵政相に対して「政界引退」を迫っていることが分かった。選挙区の東京12区で、選挙協力する“公明党のプリンス”太田昭宏幹事長代行とぶつかるためで、「引退すれば八代氏の息子を別の区で立てる」という“くどき文句”まで浮上。この日、八代氏はスポーツ報知の取材に答え、「ひどいいじめだ。公認もせずに引退しろと言われる筋合いはない」と怒りをぶちまけた。
激怒!!「必ず出る」
小泉政権を長年、支えてきた八代氏。自民党広報本部長を長く務め、小泉改革を推進してきた。03年9月の自民党総裁選では旧橋本派でありながら小泉首相の推薦人に名前も連ねた。同年11月の衆院選では、公明党との選挙協力の象徴として小選挙区を太田氏に譲り、自らは比例区に回った。
 「小泉政権には尽力してきたという自負がある。法案の100のうち99は賛成してきた。一つぐらい反対してもいいのではないか。開かれた政党だったら当たり前の話だ。それなのに…」唇をきつくかみ締め、ため息を漏らした。
 自民党都連はこの日、緊急国会議員会議を党本部で開き、郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起、八代両氏について公認申請せず、両氏の応援をした場合も処分の方針を決めた。小林氏に対しては小池百合子環境相が“ヒットマン出馬”を表明。八代氏に対して、さらに過酷な「引退勧告」まで行った形だ。
 関係者は「自民党本部は東京12区で太田氏を推薦する方針。12区は民主党現職の藤田幸久氏も含めた三つどもえだけに、八代氏が無所属で出馬した場合、太田氏も厳しい」と指摘。前回03年の衆院選では比例区に回った八代氏の支援を受けながらも太田氏と藤田氏は、わずか3000票差しかなかった。
 また、「公明党は次の党の顔となる太田氏を何が何でも小選挙区で立てたい。落選させることも絶対にできない。そこで自民党執行部には『八代を責任を持って下ろしてくれ。できなければ全選挙区での選挙協力を見直す』とまで厳しく突き付けたようだ」という情報も一部である。
 そこで、自民党内で飛び出した仰天プランが「八代氏の秘書を務めている長男を別の選挙区で公認し、出馬させ、八代氏は引退させる」というもの。長男の出馬候補区として、わいせつ行為で議員辞職した元自民党・中西一善氏の東京4区という説も浮上。「同区の自民党候補は公募になり、11日に応募を締め切ったが、八代氏側がこの条件をのめば、差し替えもあり得る」と関係者。公明党も同区はまだ公認を立てておらず、自公協力になるというものだ。
 「郵政反対派の父親を引退」→「賛成派の息子を公認」という“親子くら替え”作戦は、すでに新潟4区で実現している。03年衆院選で落選した栗原博久元農水副大臣は、郵政反対で公認を得られない見通しとなり、賛成派の長男に選挙区を譲って引退した。
 こうした水面下の動きを八代氏も察知しているようだが「直接聞いているわけではないが、冗談じゃない。私には私と選挙区の有権者との大事な約束がある。息子の話もそうだが、公認も応援もしないで『選挙に出るな』なんて、言われる筋合いはない。『死ね』ということか」と淡々とした口調ながら、静かに怒りをぶちまけた。
 参院初当選、そして衆院にくら替えして28年間、永田町で働いてきた八代氏。それがたった一度の党への反乱で、選挙で国民に判断される機会もないまま、政治生命を奪われかねない大ピンチに。造反組に対する執行部の仕打ちに八代氏は「冷徹ないじめは、はねのける。野垂れ死にしてもいい。必ず選挙には出る」と厳しい表情で訴えた。
 ◆八代 英太(やしろ・えいた)本名・前島英三郎(まえじま・えいざぶろう)。1937年6月2日、山梨県八代町生まれ。68歳。石和高卒業後、56年山梨放送に入社。アナウンサーとして活躍し、63年、芸能界デビュー。テレビ司会者だった73年、公演中に舞台から転落し、車いす生活となる。77年、参院初当選。3選後、衆院にくら替え。03年に3回目の当選を果たした。党広報本部長などのポストの他、99年10月から00年7月までは郵政相を務めた。

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2005.08.12

鈴木宗男氏、武部幹事長落とす

0812造反議員への刺客作戦を進める自民党執行部の中枢にキツいカウンターパンチが入った。“ムネオ新党”を結成し北海道から衆院選に立候補する鈴木宗男元衆院議員が武部勤自民党幹事長の北海道12区からの出馬を検討していることを明らかにした。町村信孝外相の5区と北村直人前議員の7区にも、新党から候補者をだすことも検討中だという。“小池ショック”を演出し選挙戦を先制したはずの小泉純一郎首相。逆ヒットマンから側近中の側近に向け放たれた矢は、大きな衝撃を呼びそうだ。
現在、精力的に地元・北海道であいさつ回りを続けている宗男氏。造反議員に対立候補を立てるなど“仁義なき戦い”を進める自民党執行部に対する批判が支援者から届いていた。「武部さんはやりすぎだ。武部さんが小泉さんの言いなりになっているのだから、あれと勝負できるのは鈴木しかいない」と話す支援者もいたという。
 宗男氏は武部幹事長の選挙区である12区(北見、網走市など)からの出馬の可能性について、「有力な後援者からも出馬要請がある。だから、いっちょやればおもしろいという気がしてます。検討しているのは間違いない。2、3日中に関係者と相談します」と話した。また「私が出ない場合は『私の秘書でもいいから出せ』という声もある」と、宗男氏が出馬しない場合でも“ムネオ新党”から対立候補を立てることを示唆した。
 と言っても自民党と全面対決するわけではない。「自民党の候補者から複数の依頼はきている」と宗男氏。9区(室蘭、苫小牧市など)の岩倉博文氏や2区(札幌市北・東区)の吉川貴盛氏とは「協力したいと思っている」という。また「民主党の候補者からも協力の依頼がある」と明かした。
 これまで新党を設立し複数の候補者を立てることを明言してきたが、立候補する選挙区などは明らかにしてこなかった。当初、宗男氏はもともとの地盤である7区(釧路、根室市など)からの出馬が有力視されていただけに、今回の発言は大きな波紋を呼ぶことは必至だ。北海道の武部幹事長の事務所では「あくまでうわさの話ですよね…。詳しくコメントすることはできません」と話す。
 「他の候補者は決まりつつある。比例区では最低2人は出す。選挙区にも2、3人は考えている」と宗男氏。出馬がうわさされた同郷の盟友、歌手の松山千春さんについては「出ません」と断言した。さらに、同氏の事務所によると町村外相の5区(札幌市厚別区、江別、千歳市など)や北村前議員の7区に候補者を出すことも検討中だという。
 04年の参院選では落選したものの約48万票を獲得。この数字は衆院比例代表の北海道ブロックでは1・7人が当選できる票数となっており、各陣営は“ムネオ票”に警戒を強めている。「15日までには新党の発表をして、その数日後に私がどこから出るか決定したい」。北の大地から「ムネオの反乱」が始まった。

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2005.08.11

自殺した永岡前議員の妻が総選挙出馬へ

今月1日に東京都世田谷区の自宅で自殺した自民党の永岡洋治前衆院議員=茨城7区=の妻・桂子氏が、9月11日投票(30日公示)の衆院選茨城7区で出馬する意向であることがわかった。自民党茨城県連の出馬要請に「前向きに進めていきたい」と答えたもの。自民党はこの日、亀井派の小林興起前衆院議員が出馬する東京10区に小池百合子環境相を“ヒットマン”として擁立する方針を固めた。衆院解散から一夜明け、早くもし烈な選挙戦がスタートした。
自民茨城県連から要請
 選挙になったら立候補してくれませんか―。永岡議員の妻・桂子氏のもとに自民党茨城県連から出馬要請があったのは3日前の6日。郵政民営化関連法案が参院で否決される見通しが強くなり、解散総選挙がささやかれ始めた時だった。これに対し、桂子氏は「支援者の意向を確認してから回答させていただくが、前向きに進めていきたい」と答えたという。
 永岡氏が自宅で首をつって自殺したのは1日午前10時15分ごろ。その姿を発見したのが桂子氏だった。永岡氏は郵政民営化法案で自民党総務会で反対しながら、衆院本会議の採決では賛成。「寝返った」と批判を浴び、党と派閥の板挟みに悩んでいたという。
 永岡氏の通夜では喪主を務め、葬儀委員長の亀井静香・元自民党政調会長とともに参列者に頭を下げていた桂子氏。現在、葬儀や告別式でお世話になった支援者にあいさつ回りを行っており、その際、自ら出馬する意向を伝えているという。
 桂子氏が出馬する茨城7区は、ゼネコン汚職で実刑判決を受け刑期を終えた中村喜四郎元建設相が、再出馬を検討しているとされ、永岡氏にとっては苦しい選挙戦が予想されていた。郵政法案の採決を巡っては、同氏に対し「執行部側が中村氏の名前を出して説得にあたったのでは」(自民党関係者)との話もあり、仮に中村氏が出馬すれば因縁めいた対決となる。
 永岡氏の関係者は「県連からの要請は、自民党から公認を得られたということ。選挙では全面的にサポートしていく」と話した。第1秘書としても夫を支えてきた桂子氏は、近く正式な出馬会見を行う予定。“亡くなった代議士の妻”VS“再起をかける元閣僚”―。激しい選挙戦となることは間違いなさそうだ。

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2005.08.10

ロッテ薬物疑惑完全否定

0809ロッテのボビー・バレンタイン監督と瀬戸山隆三球団代表はこの日発売の「週刊朝日」がロッテ選手の薬物使用疑惑を報じている件について、千葉マリンで緊急記者会見を開き、疑惑を全面否定した。また、バレンタイン監督は同記事の第一情報源となった球団関係者について「この組織から出ていってもらうことになる」と発言。チームの浄化に向けて、異例の“追放宣言”を行った。
あらぬ疑いをかけられたバレンタイン監督は、怒りを押し殺すように切り出した。球団関係者の証言から発覚したとされる薬物使用疑惑。指揮官は「人物が特定できたら、この組織から出ていってもらうことになる」と内部告発者を追放する考えを示した。
 薬物使用疑惑については、真っ向から反論した。疑いを晴らすべく、ボビーはここ数日の間、選手への聞き取り調査を実施。「違法な薬物は一切認めていない。確実に言えるのは、2005年にロッカーにアンフェタミン(覚せい剤)が入ったことはないということだ」と言い切った。
 緊急記者会見に同席した瀬戸山代表は、バレンタイン監督個人への攻撃であるとの見解を示した。「監督への取材もなく、写真、名前が扱われている。別の意図を持ったものであると思う」と憤慨。続けて「証拠がないのに書くべきではない」と非難した。
 瀬戸山代表によると、NPB(日本プロ野球機構)は早ければ9月にもドーピング検査を導入。同代表はNPBの医事委員会・増島篤委員長を訪問し、潔白を証明するための検査を求めたが、制度確立まで待つようにと説得を受けたという。即時検査は実現しなかったが、「まずは我々にやましいことがないことを証明して、訴訟は次のステップになる」と、ドーピング検査の実施により無実が証明され次第、法的手段に踏み切る可能性を示唆した。
 バレンタイン監督も検査の実施には賛同。「検査があれば、我々が先頭に立って受ける」と話した。この日の会見前には、全体ミーティングを招集。バレンタイン監督は「記事を読ませ、一つになって戦うことを確認した」と説明した。球団はすでに、同記事にコメントを寄せた選手、関係者を把握している模様で、バレンタイン監督は、疑惑の発端となる情報を提供した関係者を追放することを明言。早ければ、今月中旬までにチームを解雇されるとみられる。
 ◆週刊朝日の記事概要 この日発売された記事は、10人近いロッテ選手が覚せい作用のある「グリーニー」と呼ばれる薬物を服用していると指摘。90年代後半からチームに広まったとして、「選手が何人もアンフェタミン(覚せい剤)に手を出している」という関係者の証言や、その使用薬物が「(麻薬取締法が禁じる)MDMAの可能性もある」という専門家の意見が掲載されている。
 ◆グリーニー(GREENIE) 覚せい効果のある興奮剤アンフェタミンの一種で、錠剤が緑色(グリーン)であることからの呼称。アンフェタミンは食欲を抑制する作用があることから、医療での使用がある国もあるが、使用はほとんどの国で違法とされ、入手も極めて困難。メジャーリーグの選手は1950~60年代に使用し始めたとされている。大リーグでは今年1月の薬物使用に関する新規約の中で、禁止品目からアンフェタミンを削除したが、5月に再び禁止薬物として追加した。

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2005.08.09

丸山弁護士59歳100キロいける!

日テレ系「24時間テレビ28 愛は地球を救う」(27日、後6時30分)でチャリティー・マラソンランナーを務める丸山和也弁護士がこのほど神奈川・湯河原で3日間の合宿練習を行った。同局「行列のできる法律相談所」でおなじみの丸山弁護士は史上最年長での挑戦。7月中旬に右足をガードレールにぶつけ、打撲。約2週間、練習ができず、不安の中での合宿入りだったが、計31キロを激走。走行距離も例年通り100キロに決定した。
 本番まで残り3週間を切った。チャリティーランナーにとって毎年恒例の合宿特訓。だが、歴代最年長ランナー・丸山弁護士は例年にない不安を抱えていた。
 発表から約1か月後となる7月20日。自主練習中、ガードレールに右足をぶつけ、すぐに痛みを覚えた。不幸中の幸いか、骨折ではなく打撲ですんだものの、合宿入りまでの2週間は練習を自粛。右足の痛みはもちろん、走ることもできない。合宿にも消極的になり、トレーナーの坂本雄次さんらが自宅まで訪れ参加を説得した。
 合宿初日も、大げさに右足を引きずりながら登場し、苦笑い。「いや~、2週間、憂うつでね。参ったなぁと。足も少し痛かったし。合宿に来る時も(新幹線から降りる駅の)熱海じゃなくて『いたみ』って気分だった」。だが、いざ合宿が始まると、不安は自信へと変わっていった。
 初日はあえて抑えめの8キロ。最初の1キロは速歩きの状態を保った。走れないのかとの周囲の心配をよそに、徐々にペースアップ。本番を想定し、あえて暑く、アップダウンの多いコースでの合宿となったが、疲れた様子を見せず、最後の上り2キロでは、スピードについていけない若いスタッフも。周囲から「復活だね」の声が次々と上がり、2日目は13キロ、最終日は10キロと計31キロを走り抜いた。
 6月末のランナー発表時は、かなり快調だっただけにハプニングを乗り越えても「ようやく振り出しに戻った感じ」と冷静だが、表情は一変し、笑顔。年齢を考慮し、走行距離は決まっていなかったが、合宿での練習ぶりから、例年通り100キロに正式決定。
 島田伸助ら「行列のできる法律相談所」のメンバーからも「顔つきが変わってきた」と言われたという。「僕はポンコツ車。格好悪くてもがむしゃらにやるだけ」。「法に魂を込める」がモットーの人情派弁護士が、マラソンにも魂を込め、世間の弁護士のイメージをまた変えそうだ。
 ◆丸山和也(まるやま・かずや)1946年1月23日、兵庫県生まれ。59歳。1969年、早大法学部卒業後に国家公務員上級職試験に合格し法務省入省。70年に司法試験合格。73年に結婚。76年にワシントンに留学、その後ロサンゼルスの法律事務所に勤務し、80年に帰国。現在、丸山国際法律特許事務所代表。「行列のできる法律相談所」には02年から出演。スポーツ経験は、学生時代の柔道部。近年は「暇さえあれば」スポーツクラブで水泳。

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2005.08.08

横浜の佐々木が引退表明

0808横浜の佐々木主浩投手が横浜スタジアム内で会見し、今季限りで現役を引退することを表明した。佐々木投手は「悔いはありません」と語った。
 日米通算16年で381セーブを挙げ、一時代を築いたストッパーがユニホームを脱ぐ。
 佐々木投手は今季が2年契約の最終年。進退を懸けて臨んだが、0勝3敗4セーブ、防御率9・53の不振で4月下旬に2軍落ち。その後は右ひざ手術も受けて戦列復帰を目指したが、復調はならずに来季の戦力構想からも外れた。
 同投手は宮城・東北高―東北福祉大から1990年、ドラフト1位で大洋(現横浜)に入団した。2年目から抑えに定着し、98年にはチームを38年ぶりの日本一に導き、圧倒的な存在感で「ハマの大魔神」と呼ばれた。2000年にフリーエージェント(FA)で米大リーグ、シアトル・マリナーズへ移籍。新人王に輝くなど、4年間で129セーブを挙げた。昨季5年ぶりに横浜に復帰した。日本での通算成績は43勝38敗、252セーブ。
 佐々木 主浩・宮城・東北高―東北福祉大から1990年にドラフト1位で大洋(現横浜)に入団。2年目に抑えに転向し、フォークボールを武器に5度の最優秀救援投手賞を獲得し、98年には45セーブ、防御率0・64で横浜の優勝に貢献、MVPに選出された。フリーエージェント(FA)になって2000年に米大リーグ、マリナーズ入り。新人王を獲得し、01、02年にはオールスター戦出場。大リーグ4年間で通算7勝16敗129セーブ。昨季5年ぶりに横浜に復帰した。日本では通算43勝38敗252セーブ。37歳。宮城県出身。
 横浜・佐々木主浩投手「先日球団にユニホームを脱ぎたいと伝えた。悔いはありません。横浜に帰ってからの2年間は成績も挙げられず、メジャー最終年を含め3年間納得できる投球ができなくてファンには申し訳ない」
 横浜・峰岸進球団社長「本人と話をしたが、引退の意思は固いと。けじめをつけたいと。引退騒動を収めるとチームのためにも、これからAクラス、優勝を争うチームにプラスになる」
佐々木に聞く
 ―引退までの経緯は。
 「オールスターまでに納得いく投球ができなかったら引退と決めていた。明けてもできなかったから腹を決めた」
 ―家族などの反応は。
 「8月に入ってから周囲に相談はしたが、あとは自分の気持ちだった。子どもたちには最初から横浜で2年と言っていた。寂しげだったが、冬場にスキーに行けるかなと言ったり、オフの楽しみもあるのでは」
 ―故郷で復帰を希望。
 「監督にすべて任せる。育った場所だし、おふくろの前でも見せてあげたかった。こっち横浜に来られる体ではない。何としても投げられる状態にしたかった」
 ―思い出は。
 「横浜の優勝やアメリカに行って大リーグ新人記録の37セーブ目でプレーオフ進出を決めた1年目の最後の試合もそう。(対戦して印象に残る打者は)アレックス(ロドリゲス=ヤンキース)と清原(巨人)」
 ―通算セーブのプロ野球記録まであと8だが。
 「それより清原と対決できなくなることの方が悔いが残る。彼との対決はずっと楽しかった。長い間、友達で今でも彼の活躍をテレビで見ている。記録は頭にない」
 ―指導者での復帰は。
 「残るシーズンしか考えていない。2軍にもいい投手がたくさんいる。自分が培ってきたものを少しでも教えられれば」
「ハマの大魔神」力尽きる
 “ハマの大魔神”が力尽きた。日米両球界で不動の抑えとして活躍してきた横浜の佐々木主浩投手がユニホームを脱ぐ意向を固めた。
 全盛時は速球とフォークボールだけで打ち取った。打者を圧倒し続けたそのスタイルはメジャーでも威力を発揮した。しかし、度重なるけがも影響し、5年ぶりに復帰した日本では最後までかつての力強い姿を見せることはなかった。161キロのプロ野球最速記録をマークしたクルーン投手の台頭と入れ替わるように球史に残るストッパーが引退する。

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2005.08.07

イチロー、自己ワーストあと“イチ”

振ったバットが、ことごとく芯を外された。1点を追う8回2死二塁。一打同点の場面でイチローを迎えても、タ軍ベンチの判断はリーグトップの敬遠数を誇る安打製造機と“勝負”。快音で見返したいところだったが打球は力無い二ゴロ。
 結果が出た7月を踏み台に、8月は猛打爆発の予感が漂っていた。しかし全試合出場の疲れが出てきたのか、現実はいまだにノーヒット。4試合連続の無安打は01年の球宴明け、7月13日から16日にかけて記録して以来2度目。同時に記録した21打席連続無安打の自己ワースト記録にも、あと1に迫るという状況だ。
 しかし天才打者の表情は変わらない。昨年、メジャー最多安打記録を達成した打撃フォームを、6月ごろから足を以前より大きく上げるフォームに変えた。「(形を変えていくことに)恐怖なんてない。(目指すものが)見えていないとしたら違うけど」7月は結果が出て、8月は再びヒットが遠のいている。しかし、今の状況にも「気持ち的に変わらないことが大事」と言い切った。
 新たに理想とする形は見えている。だからこそ、数試合の結果で心を動かすわけにはいかない。5日から始まるホワイトソックス戦。今季チーム別では最高の5割4分5厘と相性抜群なだけに、ここで快音を響かせて波に乗れるか、51番にとって今季を占う勝負のシリーズになりそうだ。

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