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July 10, 2005 - July 16, 2005

2005.07.16

新守護神は林

0716木佐貫の代役は林にかける―。15日からの横浜3連戦を前に林昌範投手が新守護神に指名された。木佐貫洋投手が都内の病院で精密検査の結果、「右肋間筋肉離れ」で2週間の投球禁止が言い渡された。ようやく確立した勝利の方程式が崩壊する危機に、首脳陣は安定感抜群の左腕を切り札に指名。久保裕也投手、B・シコースキー投手らを含めた救援陣で最後の勝負に出る。
96年、メークドラマ序章の舞台となった札幌で、中日に無残な2連敗。上原、工藤の左右のエースを立てながら、奇跡の再現はならなかった。さらに追い打ちをかけるように、守護神・木佐貫が離脱。上原、前田ら主力投手陣も試合中のアクシデントにより盤石の状態ではない中で、最後の望みをかけて戦う態勢を整える。
 抑えの切り札となるのが林だ。「ストッパー? 木佐貫が1軍に上がる前の状態に戻るということ。前にも経験しているのでそんなにあわてていません」と阿波野投手コーチは説明。林を軸にし、久保、シコースキー、新助っ人のミアディッチらの救援陣で乗り切るつもりだ。
 林は今季ここまで32試合に登板。4月30日から25イニング連続無失点を記録するなど、1勝2敗5セーブ、防御率1・26の成績を残している。安定感はチーム随一で、木佐貫が不在の間は久保とともにダブルストッパーを任されていた。
 守護神が再び復帰するまでは、総力戦でしのぐしかない。「まだ何も言われていませんが、僕は投げろと言われた場面で投げるだけです。チームがこういう状態なので、何とか貢献して盛り上げていきたい」と林はキッパリ。不振にあえぐチームにとって、最後の起爆剤として期待される。
 首位・阪神とはメークドラマのリミットを超える12・5ゲーム差まで開いた。もう、夢のような奇跡は起こらないかもしれない。それでも、最後まで懸命に戦う姿をファンは待っているはずだ。巨人のプライドをかけて、背水の陣で勝負に臨む。

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2005.07.14

小川ハッスル魂継承!橋本さん追悼試合開催へ

0715ハッスルはハッスルのままであり続ける。“キャプテン・ハッスル”小川直也が、脳幹出血で他界した橋本真也さん(享年40歳)のために、さらなる「ハッスル普及」を掲げた。ハッスル10では、10カウントゴングを鳴らして黙とう。統括する笹原GMは、ハッスル12(9月10日、愛知県体育館)を橋本さんの追悼試合として行う意向を示し、団体の垣根を越えての合同葬も提案した。
小川が泣いていた。追悼の10カウントゴング。大谷晋二郎、川田利明の横で小川は遺影を抱え、声を詰まらせながらあいさつした。「適当な言葉が見つかりません。志半ばで彼は逝ってしまいました。しんみりするのは似合いません。ハッスルらしく彼を送り出したい」
 橋本さんが考案した「トルネード・ハッスル」に、満員の観客も呼応した。小川の掛け声に乗って、約7000人が「ハッスル! ハッスル! トルネード、ハッスル!」。橋本さんのテーマ曲「爆勝宣言」が会場に流れ、ファンと選手が一体となって“ハッスル・キング”橋本さんを天国へ送り出した。
 2004年1月3日に横浜アリーナで旗揚げされたハッスル。橋本さんと小川が考え出した「ハッスル」は瞬く間に世間に浸透した。会場の正面玄関横には献花台が設置され、衣装や遺影も展示。用意した5000本の花はなくなり、多くのファンが別れを惜しんだ。笹原GMは、9月10日の「ハッスル12」(愛知県体育館)を追悼試合とする方針を示し、「団体など関係なく合同葬などが出来ればいい」と提案した。
 試合では、いつも通りにハッスル。安田とは犬猿の仲だった小川だが、安田をハッスル軍に引き入れリング中央で握手。賞金の「1億」が実は円ではなく1億モンスタードルで肩透かしも食らったが、そんなことは関係ない。2人で橋本さんのために、さらなるハッスル普及を誓い合った。「天国にいる橋本真也~、お前も一緒にハッスルするぞ~」橋本さんは天国へ旅立っても、残された仲間がハッスル魂を受け継いで行く。

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義務教育を4・3・2年に

東京都品川区教育委員会はすべての区立小中学校計58校で2006年度から、義務教育を4年間(小1―小4)、3年間(小5―中1)、2年間(中2―中3)に分けた教育カリキュラムを導入することを決めた。
 中学進学で学習内容や生活指導が変わり、子供たちが戸惑うケースが目立つためで、区教委は「特に小5―中1への指導を工夫したい。市区町村単位でこうした取り組みをするのは珍しいのではないか」としている。  区教委によると、最初の4年間は基礎教育期間とし、国語と算数の授業を増やす。英語教育も小1から行う。次の3年間は、中学校のように教科担任制を導入、子供たちの個性や能力に応じた教育を進める。
 最後の2年間は、ステップアップ学習と位置付け、さらに個性や能力を伸ばす。計9年間で、授業時間はそれぞれ年34―70時間増やす。
 2006年春開校予定の小中一貫校を除き、小中学校の児童・生徒は、従来通り6年間は小学校、3年間は中学校に通学。小中学校の教員が隣接校に赴くなどして教育活動を行うという。

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2005.07.13

橋本真也さん急死 脳幹出血40歳

0713破壊王、逝く―。プロレス界のトップ・レスラー、橋本真也さんが11日午前10時36分、脳幹出血のため横浜市南区の市立大付属市民総合医療センターで急死した。40歳だった。知人宅で倒れ救急車で運ばれたが搬送中に心肺停止、帰らぬ人となった。今秋の1年ぶりリング復帰を目指していたが、最近では心筋梗塞(こうそく)の不安も抱えていた。11日未明には「頭が痛い」と訴え、一度は都内の病院に足を運んでいたという。
プロレス界を暴れまわっていた破壊王が、急逝した。橋本さんはこの日午前8時過ぎに知人宅で倒れた後、救急車で横浜市内の病院に運び込まれたが、搬送中に心肺停止、午前10時36分に死亡が確認された。遺体は同日午後、横浜南署で司法解剖された後、保土ケ谷区内の葬祭場に一時安置された。出身地の岐阜県からは妹の真生さん、師匠で新日本プロレス相談役の坂口征二氏や同期でレスラーの蝶野正洋を始め新日選手らが駆け付け、橋本さんと無言の対面をした関係者は、一様に言葉を失った。
 不吉な予兆はあった。親しい関係者は、橋本さんが倒れる約8時間前の11日午前零時20分過ぎ、橋本さん本人から不調を訴える連絡を受けたという。「頭が痛い。病院の診察券を探してるが、持ってるか? 病院の場所を教えてくれ」とのメッセージを留守番電話に残し、同日未明には一度、都内の病院に足を運びながらも横浜の知人宅に引き返していたという。また、最近は心臓の薬も服用していたようで約2週間前には不整脈を訴えて、都内の病院に入院していた。
 レスラーの生命線である右肩故障と1億円近い負債で心労が重なっていた。2000年11月に創設したプロレス団体「ZERO―ONE」の経営悪化に伴い昨年11月25日付で経営権を放棄、約1億円の負債を抱える経済難に陥っていた。昨年8月31日の試合を最後にリングを離れ、同年12月には右肩の手術に踏み切った。負債をすべて背負う形で、3月25日には離婚し裸一貫での出直しを誓っていた。この日午後10時過ぎには、債務整理を担当する弁護士事務所が横浜市内で会見し、喪主を務める妹の真生さんは「兄は心筋梗塞の疑いがあると心配していた。母も60歳で同じ病気で亡くなったので、兄も気にはしていた」と語った。
 波乱万丈の人生だった。中学生の時に父親を亡くし、岐阜から上京。アントニオ猪木にあこがれ、新日本の門を叩いた。1990年代は蝶野、武藤敬司との「闘魂三銃士」を結成、新日本の黄金期を支えた。柔道界から転向した小川直也のデビュー戦相手も務め、壮絶な死闘を見せた。10月8日の新日本・東京ドーム大会での復帰戦も浮上し橋本さんも「秋には復帰したい」と語っていたという。10年来の親友・石田克史さんは「負債と故障、悪いことがあまりに重なり過ぎた。自分が復帰すれば数年で負債は完済する自信があると常々話していた」と橋本さんの胸中を代弁した。昨秋には「半年でカムバックしたい。おれは奇跡の復活を信じる。いつの日か破壊王は復活する」と話していた橋本さんだが、志半ばにして倒れた。40歳。あまりにも早過ぎる死だ。

◇橋本真也(はしもと・しんや)本名・同じ。1965年7月3日、岐阜県土岐市生まれ。84年、新日本プロレス入団。同年9月1日、デビュー。アントニオ猪木、坂口征ニらの付け人を務め、蝶野、武藤と闘魂三銃士を結成しトップ・レスラーに。00年10月に新日本を解雇され、同年11月にプロレス団体「ZERO―ONE」を設立したが、経営悪化に伴い昨年11月25日に経営権を放棄しフリーに。主なタイトルはIWGPヘビー、3冠ヘビー。得意技はケサ斬りチョップ、DDTなど。183センチ、113キロ。

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2005.07.12

猪木新団体「WXF」旗揚げ

0712櫨本真也の急死には驚きました、ご冥福を祈ります。
燃える闘魂・アントニオ猪木が世界本格進出の新団体を旗揚げしていたことを明らかにした。団体名は「WXF 世界総合格闘技連盟」で、猪木は総裁に就任。9日には韓国・ソウルで旗揚げ戦を行った。団体には世界51か国の“闘魂ネットワーク”があるとのことで、猪木は年内にも都内で各国代表を招へいした世界戦略会議を開催する意向を示した。
猪木が、いつの間にか新団体を旗揚げしていた。ソウルで大会を開催し、この日帰国。そして在住する米ニューヨークに出発する直前の成田空港で、だしぬけに新団体「WXF」の存在を明かした。
 WXFは総合格闘技団体。総裁は猪木で、会長には新日OBで猪木の懐刀・星野勘太郎氏が就任した。旗揚げ戦は「WXF X―impact World Championship」と銘打たれ、観衆3000人を動員した。「興行としては成功だった」と猪木。実質オーナーを務める新日本プロレスのほかに「UFO」「ジャングル・ファイト」「イノキ・ボンバイエ」などを手掛けたが、WXFは海外を中心に展開していくという。
 猪木は「興行を定着させるため、猪木の看板を前面に出して売りこんでいく。連盟には世界51か国のネットワークがある。年内には都内で集会を開く」と話し「将来的には新日本と連携が取れれば理想」という。6月には「若さとグローバル」を掲げるサイモン・ケリー猪木氏を新日本の社長に抜てき。この日、見送りにきたサイモン社長には「秋の東京ドーム(10月8日)を期待する。周りにざまあみろと言うぐらいの興行をやってみろ」とゲキを飛ばした。
 次回の猪木襲来は新日・札幌大会。猪木は新日選手らを再教育する地獄の闘魂夏合宿開催も宣言すると「おれたちの売りは元気。ダ~ッハッハッハ!」と高笑いを残し、機上の人となった。

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2005.07.11

ビンラディン容疑者が攻撃指示か

日に発生したロンドン同時爆破テロの黒幕として、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の名前が浮上した。事件には「イラク聖戦アルカイダ組織」を率いるヨルダン人テロリストのザルカウィ容疑者の関連がささやかれており、米政府高官は「ビンラディンがザルカウィに指令を出していたことをつかんでいる」と発言しているという。なお英紙タイムズによるとテロにおける死者は52人に達している。
同時テロ」の黒幕としてささやかれた名前は、やはりあの男だった。米メディアが今回のテロについて、ビンラディン容疑者が指示を出して攻撃させた可能性があると報じた。
 ロイター通信によると、テロ対策にあたる米政府高官は「ビンラディンからザルカウィに、欧州などで攻撃するように指令を出していたことをつかんでいる」と明言。2001年9月11日、米中枢同時テロを首謀し世界を震撼(しんかん)させた男の名前を出した。
 ザルカウィ容疑者と言えばビンラディン容疑者から「アルカイダのプリンス」と称賛される後継者的人物。ザルカウィ容疑者も今年5月に「計画の草案があなた(ビンラディン容疑者)の元に届いたか、送られつつある。あなたの指示を待つ」という声明を発表。忠誠を誓い、連携してテロを行う姿勢を明確にしている。
 通常、アルカイダ中枢の大規模テロは声明を出さない。犯行声明を出すのはザルカウィ系組織だけだ。今回のテロでは、事件後に「欧州アルカイダ秘密組織」が犯行声明を発表した。同組織は実態が解明されていないが、犯行声明を出したということで、米テロ対策当局者はザルカウィ容疑者と強いつながりがあるとみている。
 ロイター通信によると2002年、ザルカウィ容疑者の組織に属する5人がドイツのユダヤ関連施設への攻撃を企てたとして逮捕されており、同容疑者配下のメンバーが欧州に浸透しているのは間違いないという。また米中央情報局(CIA)は5月の報告書でイラクで訓練されたテロリストが欧州などの出身国でテロを行う可能性に懸念を示していた。
 前ロンドン警視庁警視総監が「ビンラディンに訓練されたテロリストが少なくとも100人が英国内にいる。いや200人かもしれない」と訴えており、9・11の悪夢の首謀者の名を挙げて警鐘を鳴らしていた。

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2005.07.10

五輪野球除外!長嶋さん「残念」

0710ミスター、大ショック! 国際オリンピック委員会(IOC)は現地時間、シンガポールで総会を開き、2012年ロンドン五輪の実施競技から野球とソフトボールを除外することを決めた。前日まで存続が有力視されていただけに、昨年のアテネ五輪で銅メダルを獲得したアテネ五輪日本代表の長嶋茂雄監督=巨人軍終身名誉監督=も驚きを隠せず「非常に残念です」とコメント。ロンドンの次となる16年大会での野球復活に向け、08年北京五輪で好試合を見せることが大事、と熱いゲキを飛ばした。
衝撃のニュースは事前の予想を覆すものだった。野球、ソフトボールを含め、現行競技は2012年のロンドン五輪でも存続すると見られていたが、一転して除外種目となることが正式に決まった。IOC委員の投票で、日本のメダル有望種目である球技2種目だけが、存続に必要な過半数の賛成を得られなかった。
 ミスターもショックを隠しきれない。実は、ここ数日、日本代表強化本部長として、長嶋監督も関係者を通じてJOC(日本オリンピック委員会)の関係者から情報収集を行っていた、という。楽観論が支配する中で、ミスターだけは危機感を募らせていた。
 「2012年の開催地がロンドンに決まってから、野球が除外される可能性があるとの話をうかがい、動向を気にかけていました」とコメント。08年北京の後の五輪開催地が6日に欧州に決まったことで、不吉な逆風が吹き始めたのを察知していたわけだ。
理由は2つあった。野球は、米大リーグの一流プレーヤーの五輪参加の見通しが依然立っていないこと。さらに、欧州では野球そのものの普及度が低く、特に英国では野球人気は皆無に等しい。ベッカム人気でも分かるように、サッカーとは比べ物にならないのが実情。ソフトボールも、競技力が一部の国などに偏っていることも響いたようだ。IOC委員の投票で最終的に2球技存続に必要な過半数の支持は得られなかった。
 「92年のバルセロナ大会で正式種目として採用されてから、昨年のアテネまで4大会が経過し、ようやく野球も五輪競技の一つとして定着しかけてきただけに、08年の北京を最後に除外になるのは非常に残念です」長嶋監督が残したコメントからも落胆の様子がうかがえる。昨年のアテネ五輪ではプロ選手で固め、自ら指揮を執るはずだったが、脳梗塞(こうそく)の病に倒れ、アテネには行けなかった。それだけに、08年北京五輪での復帰に向け、強い意欲も見せている。
 野球、ソフトの代わりにゴルフ、7人制ラグビー、空手、スカッシュ、ローラースケートの中から入れ替え競技が選定される予定だったが、理事会での投票で見送られることになり、ロンドン五輪は26競技で行う。

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