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May 29, 2005 - June 4, 2005

2005.06.04

花田勝さん涙の絶叫

花田勝口腔底がんで亡くなった元大関・初代貴ノ花の二子山親方の告別式が2日、東京・港区の青山葬儀所で営まれた。約1200人の参列者と一般ファンを前に、喪主で長男の花田勝さんは「病気と闘う父の姿は、最後まで勝負をあきらめない大関・貴ノ花の姿でした」などと声を詰まらせながらあいさつし、涙を誘った。遺体は渋谷区の代々幡火葬場で荼毘に付された。13日に日本相撲協会による協会葬が東京・両国国技館で営まれる。
空まで泣いた。二子山親方との最後のお別れの時。長男・勝さんが位牌(いはい)を持ち、その隣に二男・貴乃花親方(元横綱)が遺影を持って現れると、降り出した雨が強まった。そして勝さんの喪主あいさつ。こぼれそうになる涙を必死にこらえた「皆さま、ありがとうございました!」という言葉は声が裏返り、ほとんど慟哭(どうこく)に近い絶叫。約500人の一般客からは「名大関!」「貴ノ花」などの掛け声が飛び交い、あちこちで参列者が涙をぬぐう姿が見られた。
 ひつぎの中には、天国でもダンディーであってほしいという願いを込め、親方愛用のスーツが入れられた。さらに若貴の子供たちが、おじいちゃんである亡き親方への思いをしたためた寄せ書き、千羽鶴、現役時代の写真、雪駄が添えられた。愛煙家だった親方が好きだったたばこの「マイルドセブン」もあった。
 亀裂が生じている若・貴によって進められた葬儀には、気まずさもあった。だが勝さんは「こんなときにおやじに心配をかけたくない」と喪主の務めを完遂した。喪主を兄に譲った貴乃花親方も「滞りなく終わったと思います」と振り返り、静かに聞くしかなかった兄のあいさつには「弟子をたくさん育てた師匠でしたから。絶叫にはそういう思いがあったのでしょう」とうなずいた。
 2人は「もめ事をこれ以上起こしたくない」という点では一致している。勝さんは「僕の敵は弟じゃない。花田家を皆で守っていこうというのが父の遺志。仲良くできるように少しずつでも解決していきたいと思っている」と話した。
 親方の遺骨は、13日の協会葬、四十九日などの法要を経て、東京・杉並区成田東にある曹洞宗天桂寺に納められる。母・きゑさん(故人)の優しさに包まれ、兄の元横綱・初代若乃花に厳しく育てられた町。生前に親方が自分の足で探して決めた。同寺には慕っていた義兄の先代荒磯親方が眠っている。かつての良き飲み仲間と再会し、好きだった酒を存分にくみ交わすことだろう。

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2005.06.03

小野が右足を骨折

小野伸二サッカーのワールドカップ(W杯)アジア最終予選第4戦でバーレーンと対戦する日本代表はバーレーン・マナマの国立競技場サブグラウンドで初練習を行ったが、主力の小野(フェイエノールト)が紅白戦形式の練習中に右足を痛めて、病院で治療を受けた。小野の所属チーム、フェイエノールトは足の甲を骨折したと公式ホームページで発表した。
 フェイエノールトは「6月中旬から始まるコンフェデレーションズカップには出場することができないだろう」としており、3日のバーレーン戦ばかりでなく、8日の北朝鮮戦も含め、長期離脱の見通しとなった。日本代表側は「右足甲の疲労骨折」と診断結果を発表した。
 練習では柳沢を1トップに置く3―6―1の布陣で、小野に代わって小笠原が中村と中央で並ぶトップ下に入った。中田英は福西と守備的MFを務めた。バーレーン戦は3日午後7時35分にキックオフとなる。

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2005.06.02

ピカソ2000万円で落札

ピカソ税金滞納で神奈川県が差し押さえたピカソの絵画「顔」のオークションが一日、同県庁で開かれ、2000万円で落3月の作品。正式な鑑定はないが、ピカソ作品の専門書の内容と一致することや大手画廊の取引証明などから本物と判断した。
 絵画は県税の高額滞納で横浜市内の企業から差し押さえた。オークション形式の公売で差し押さえ品の高級絵200万円でスタート。あっという間に価格がつり上がり、わずか3分で中国・北京在住の30代の中国人夫婦が2000万円で落札して終了した。夫婦は中国で貿易会社やゴルフ場を経営しているといい、「絵画収集が趣味で、ピカソの作品はほしい一枚だった。自宅に飾りたい。いい買い物でした」と話していた。

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2005.06.01

花田家の葬儀は6月2日

貴乃花親方30日に死去した大相撲元大関貴ノ花の二子山親方(本名花田満)の花田家の葬儀・告別式が、6月2日の午前11時から、東京都港区の青山葬儀所で営まれることが決まった。喪主は長男で元横綱三代目若乃花の勝氏。
 日本相撲協会も協会葬を予定しており、この日午後に緊急理事会を開いて日程を調整する。
 この日昼すぎから、東京都中野区の貴乃花部屋で記者会見した二男の貴乃花親方(元横綱貴乃花)は「(父の死を)受け入れることに、いまだに時間がかかっている。おやじが土俵に上がっている姿が息子のあこがれでもありました。師弟の関係を離れて、2人でのんびり旅行に行きたいと話していたのに…」と、時折言葉を詰まらせた。花田勝氏は「病気と闘って本当に苦しかっただろうが、土俵際まで絶対に粘るんだ、という気持ちを貫き通したと思う」と述べた。
 この日午前、貴乃花部屋には相撲協会の北の湖理事長(元横綱北の湖)、実兄の花田勝治氏(元横綱初代若乃花)ら関係者が弔問に訪れた。理事長は「安らかに眠っておられました」と沈痛な面持ちだった。
 貴乃花親方「言葉にならない。父の表情はとても穏やかだった。昨晩は思い出話をしながら、天国に行ってほしいと願っていた。父には「おれが死ぬまで泣くな」と言われ、かたくなに守ってきた。昨晩もまだ死を受け入れられず、涙は出なかった」
 元横綱三代目若乃花の花田勝氏「17歳で相撲界に入り、厳しさや優しさを教わった。父の体が弱り、心が痛む思いだったが「勝負をあきらめるな。土俵際まで粘るんだ」と、わたしに言っていた通りの最期になった」
 貴乃花親方は師匠でもある父の死について「受け入れることに、いまだに時間がかかっている」と声を絞り出した。
 しっかりした口調ながら、言葉に詰まり、目を閉じるなど、悲しみに耐える様子もうかがわせた。15歳で入門するにあたり「15年間お世話になりました」とあいさつした時に初めて父の涙を見たといい、その時「おれが死ぬまで、一切涙を流すな」と約束したという。
 貴乃花親方は「師匠との約束を、自分なりに果たせた。1人になったとき、私には姿は見えないが、心配して会いにきてくれると思う。それを感じたときに、涙が出ると思います」と話した。

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2005.05.31

愛ちゃん中国出発 凱旋試合ピンチ

福原愛愛ちゃんの“凱旋試合”に黄信号がともった。卓球の世界選手権代表の福原愛=グランプリ=が中国スーパーリーグに参戦するため、所属する遼寧省チームの本拠地、中国・瀋陽入りした。しかし、12月3日に予定されていた北京との最終戦の日本開催に待ったがかかり、日程変更を含めて計画の見直しを強いられそうだ。
世界最高峰の中国スーパーリーグに挑戦する福原は決戦の地への出発を前に「まだ試合に出てないから想像がつかない」と緊張気味に話した。
 日本だけでなく、中国のファンも注目する愛ちゃんのプレー。当初は開幕戦を日本で行う方向だったが、会場探しが難航。12月3日の「北京」との最終戦を日本開催することで調整を進めてきた。しかし、ここに来て中国国営放送(CCTV)が最終戦の日本開催について難色を示している。
「北京」は世界ランク1位の張怡寧を擁す昨季の優勝チーム。また、福原が所属する「遼寧省」も世界選手権3連覇の王楠や世界ランク4位の郭躍を擁する昨季2位のチームで、両チームの対戦はリーグで最も人気のあるカードだ。CCTVとしても中国全土への放送を希望しており、中国国内での開催をチーム側に要請してきたという。
 そのため父・武彦さんは「日本からの生中継や日程を繰り上げてやるか、やめるかを含めて調整する」と最悪の場合には開催が白紙になる可能性を明らかにした。しかしチームとの契約の一部に日本開催が含まれており、今後、急ピッチで調整することになるという。
 到着後は、チームへ合流。あこがれの王楠とダブルスの練習、黄山市で行われる四川省との開幕戦に挑むが「試合よりダブルスを組むことが緊張する」と笑みを浮かべた福原。「みんな強い。でも精いっぱい頑張ってきます」パワーアップした姿を見られるかは、16歳の活躍にかかっているかもしれない。

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2005.05.30

欽ちゃん球団敗れる

夕日コメディアンの萩本欽一さんが率いる野球のクラブチーム、茨城ゴールデンゴールズが日立市の日立市民球場で行われた都市対抗1次予選の茨城県大会3位決定戦でJR水戸と対戦し、2―5で敗れ、本大会出場を逃した。
 都市対抗大会は社会人野球の最高峰。茨城ゴールデンゴールズはこの試合に勝てば、2次予選の北関東大会に進出することになっていた。
 2回にJR水戸がソロ本塁打と満塁本塁打で一気に5点を先行。茨城ゴールデンゴールズは4回と8回に1点を返したものの、最後まで2回の大量失点が響いた。
 晴天の中、約5000人の観客が球場に詰め掛けたが、萩本監督は「クラブチームが企業チーム相手に勝ち抜いていく姿を日本中に見せてあげたい。来年、必ずぶち抜いていくぞ」と決意を新たにした。

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2005.05.29

石原都政、特別職3人が辞表

石原慎太郎石原慎太郎東京都知事の側近の浜渦武生副知事に都議会自民、公明両党が「独裁政治をしている」と辞職を迫る中、別の副知事ら特別職3人が、都政混乱の責任を取る形で石原知事に辞職願を提出したことが分かった。
 石原知事は定例会見で辞職を認めるかどうかは「わたしが決めること」とし、浜渦氏の進退を含めた特別職人事について「結論を出した」と述べた。週明けに議会側に伝える方針。
 辞職願を出したのは福永正通、大塚俊郎両副知事と横山洋吉教育長。浜渦氏は石原知事が衆院議員時代の秘書。1999年4月の石原知事初当選後、特別秘書を経て2000年6月副知事となり、昨年6月再任された。
 会見で石原知事は、都幹部が施策を説明する際、浜渦氏がいつも同席してきた実態を「考えてみればおかしな話」と指摘。「これから恐らく新しい態勢で、わたしの考え方を披歴し、徹底するよう努力する」と語った。
 複数の都幹部によると、浜渦氏は庁外活動が多い石原知事の代理として、次第に情報や人事権を独占。浜渦氏が認めないと、幹部が石原知事に報告することもできなくなったという。
 浜渦氏は特定の幹部としか会わず、会えない幹部は文書で報告。「お手紙方式」と呼ばれ、浜渦氏が文書に丸印を付けないと施策を進めることもできなかったとされる。
 反発した都議会自民党などは、浜渦氏の議会答弁内容を問題視し百条委員会を設置。百条委は浜渦氏が疑惑をでっち上げるため、民主党に質問を依頼したとして、依頼を否定した浜渦氏の証言を「偽証」と認定、告発する姿勢を見せている。

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